カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

アウトプーットゥゥーーーッ!!

映画【星の王子ニューヨークへ行く】(※ネタバレあり)

若かりし頃のエディ・マーフィが主演している有名な映画、なのだそう。

そんなことは正直知らず、何の気なしに観た映画ではあったけど、

感じたこと、考えたこともあったし、

せっかくだからブログにアウトプーットゥゥーーーッ!!

 

それじゃあ早速ゥー!

 


率直な感想としては、

現代の映画を観慣れている身からすると古いコメディ感満載。

面白くて笑った場面もあるにはあるけど、笑いのツボの違いを何度も感じさせられたと言わざるを得ないというか、、、

それはそれで趣深かったというかなんというか、、、

 

カフェラァテの映画鑑賞スキルだとか背景知識だとかが浅いんだとは思うんだけど、

出演者は黒人がメインで白人がポツポツ。

散髪屋にいるいつもの人たちも、一人だけ白人。

というか、エディ・マーフィが一人何役かを演じているらしく、そりゃ黒人が多くなるのは当然なのかもしれないけれど、その白人役もメイクでエディ・マーフィが演じていたという情報も見かけた。真偽に責任は持てないけど。

どういう意味付けや考えで黒人白人を配置したのかカフェラァテには理解が出来なかった。

時代・場所・舞台背景があったのかもしれないけれど、全く読み取れなかった。

人種差別問題が強く叫ばれる現代に生きているからか、これには何か意味があるのかもしれないと気になるだけ気になって、全く読み取れなかったんだよね。

 

この映画のテーマは何なのか、

そもそもテーマがあるのか、ないのか、

それは分からないけれど、

もしかしたら単純なコメディ映画ってだけなのかもしれないけれど、

それだけだと学ぶべきものが少なくなってしまうからあえて自分なりのテーマ付けをすると、

 

『しきたりに甘んずることなく、自分の運命は自分で切り開く』

 

という感じなのかな。

 

わしは自分の運命に満足しておるよ

 

って言えるように。

 

 

憎たらしい恋敵からヒロインを奪う、、、

奪うと言ってもヒロインとは相思相愛になるし、奪うっていう言い方は悪いかもしれない、、、

いやまあ、でも紛れもなく奪ってるよね、あれは。

一回別れてからとかじゃあなくて、奪ってるよね、あれは。

とにかく、よくありがちなベタな展開。

 

それにしても一番かわいそうなのは、

主人公アキームの結婚相手として育てられ、結局放置されて終わった女性。

これはね、マジで笑えなかったんだよね、

いや、一瞬は笑ってしまったんだけど、一瞬で非情さを認識したよね。

救いがないというか、、、

フィクションだしコメディだから良いのかもしれないけれど、

妙に心が痛んだんだよね、、、

 

アキームの性格はといえば、

素直・ピュア・諦めない姿勢・自分の軸と芯を持っている・ブレない・目標に向かって真っすぐ・余裕・寛容・明るい・ユーモアセンスがある・包容力がある、、、

って、めちゃくちゃ魅力的な男なんだよね。

最愛の女性を見つけるためにどんなに貧しく見せかけても、

にじみ出るオーラや魅力があるんだよね。

紳士なんだよね、ジョナサンと張るね。

 

電車内でヒロインであるリサに語りかけるときの周囲を気にしない堂々とした態度。

もちろん映画だからってのはあるけど、

究極あれが出来たら男として本当にかっこいい。

 

貧しく見せかけているだけで、

実際はお金もステータスもあって余裕があるから出来たことかもしれないけれど、

人として持っておきたい要素をたくさん持ち合わせている人物。

それがジョナサン!

、、、じゃあなくてアキーム!

お金やステータスがあったとしても、あそこまでは出来ないと思うんだよね。

 

こんなアキームだからこそ、

周囲の人々もアキームの余裕・堂々とした態度・振舞い・言動も嫌味なく感じられたのだろうと思う。

 

そして、この物語を観て思ったこと。

それは、

「本当に好きな人を選べるということは、当たり前のようで本当はとても尊いことなんだ」

ということ。

 

リサがあの性格の悪い彼氏と付き合っていた理由は、

周囲の期待、特に父親の期待に応える為のようにも思えた。リサ自身がそれを自覚していたのかは分からないけれど。

だからこそ、貧しいけれども(実際には全く貧しくなくて、むしろめちゃくちゃ裕福なんだけど)人間的魅力にあふれるアキームに『迷いなく』傾いたんじゃあないだろうか。

 

、、、

そうじゃなくてもあのアキームなら誰だってなびくかな、、、

 

家のしきたりに立ち向かい、自分で最愛の人を見つけ出したアキーム。

周囲の期待に立ち向かい、本当に好きだと思えた人と結ばれる決断をしたリサ。

 

好きな人と結ばれることは尊いことなんだなーと、しみじみと思いました。

 

 

 

ってかジョナサンエリナが結ばれた時も尊さ感じたって!

やっぱりこれはジョジョの始まりの物語と重なるぅっっーーー!!

 

 

、、、テンションがおかしくなるね、

、、、実際そこまで重なりはしないね、

、、、てか重なり代はものすごく小さいね、

、、、言いたいだけだったね、

 

閑話休題

 

リサにプレゼントした高級イヤリングを電車の中で見知らぬおばさんにあげた時、

初めてアキームはお金では買えないものがあることに気づいたのかもしれない。

 

とにかく。

クイーンズという遠い地にはるばる赴き、

裕福な王子でありながらあれほどみすぼらしい生活をするくらいの極端な行動が運命を切り開いたということ。

ただ、本人は何の迷いもなく、めちゃくちゃ前向きで、希望にあふれて、なんなら心の底から楽しんでたみたいだから、そこまでの行動をしたという自覚もないのかもしれないけれど。。。

 

もし自分だったら。

あそこまで極端な行動をとれるか、、、自信はないけれど、、、

 

結局は【イエスマン “YES”は人生のパスワード】

映画【イエスマン “YES”は人生のパスワード】(※ネタバレあり) - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

と同じで、

  • 自分の本当の気持ちに正直になること!
  • 「イエス」による行動を起こすこと!
  • 未来を切り開くことが出来ると思える行動を起こすこと!

それが大事という事は共通していると思ったんだよね。

迷ったら「イエス」!自分の気持ちに「イエス」!

 

 

それからアキームの周囲の人々について。

 

【アキームの母】

子供を想う気持ちに溢れる。

アキームの一番の理解者。

常識や分別もある。当初はしきたりを重視していたように感じられたが、元は一般人だと思われ、やはりそこは理解がある。

一般人であるリサの父とも初めから自然に接していたように感じた。

共感力・理解力・客観的観方は本当に大事。

 

【アキームの父】

最もしきたりに囚われ、最も理解の無い存在として描かれていた。

が、生まれてこの方王としての教育や生活にどっぷり浸ってきているから仕方がないよね。

自分でもどうすれば良いのか分からなかったのかもしれないね。

それは王族とか富豪とかに関係なく、誰しもに起こりえること。もしくは誰しもに既に起こっていること。無自覚にね。

やはりそれでもアキーム父であり、最後にはアキーム母の言葉に納得していた。

価値観は生まれ育った環境に本当に依存するっていうことだね。

ジョルノもあのギャングに出会っていなければ、その他のDIOの息子たちみたいになっていたのかもしれない、、、

本当にぞっとする話よ。

 

【リサの父】

金持ち自慢が鼻につくが、なんだかんだで娘の為なら強者にも毅然と立ち向かう姿勢には好感が持てた。かっこいいっちゃかっこいい。芯が強いっちゃ芯が強い。アキームと同じ要素を持ち合わせているっちゃ持ち合わせている、

とも言えなくもないね。

 

セミー】

よくまあアキームに反発せずに我慢した。一般人なら無理よ、あれは。ついてけんよ。

でもまあ考えてみれば一般人ではないし、立場もあるし、、、

でもやっぱ凄い。

一部勝手な行動はとったけれど、アキームとしてはそれでも信頼できる人物、親友なのだろうね。

身勝手さと信頼の絶妙なバランス。

アキームにとっては何でも話せる大切な存在であり、理解者。

こんな存在がいたらなーって思うね。

ウッチャンに対するナンチャン

仗助に対する億泰!

ジョルノに対するミスタ!

、、、違うか!?

 

 

 

最後に。

最後の結婚式のサプライズはちょっと酷いなーと思ったんだよね。

あのサプライズ。アキームが嫌がって結婚式すら実施されなかった可能性だってあるんじゃあないのって思ったんだよね。

 

アキームが精神的に大人だからか。

はたまた、しきたりへの諦めだったのか。

 

ちゃんと結婚式してくれてよかったね。

 

 

 

、、、ところで、、、

 

、、、「星の王子」ってどういう意味だったんだろう、、、

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!

映画【イエスマン “YES”は人生のパスワード】(※ネタバレあり)

2023年の始まり。

新年1発目のブログ記事にふさわしい映画。

 

カフェラァテは今年の目標とか抱負とかあんまり考えないタイプで、

日々の継続と軌道修正が大事だって思っているタイプだけど、

人生を良い方向に変化させていきたいっていうのは常に思っていて、

この映画は自分の行動の変化を促してくれる素晴らしい映画だと思ったんだよね。

 

観るだけじゃあ何も変わらないし、

最後は自分が行動に移すか移さないかが一番大事ではあるんだけど。

 

だけど、

何事も「きっかけ」は必要なわけで。

 

そして、

その「きっかけ」は「感情が動かされる」ってことがかなり大きいわけで。

 

この映画はその「きっかけ」になる映画だと思ったんだよね。

 

最初に言っておくと、

この映画は素晴らしい映画で感情が動かされた映画だったとはいえ、全てを真似するのは難しい。

そんな極端な映画だったけれども、

  • やったことのないこと
  • 新しいチャレンジ
  • イレギュラーなこと

に躊躇しがちなカフェラァテにとっては、

少し取り入れるだけでもポジティブな変化をもたらしてくれそうだと感じたんだよね。

 

というわけで前置きはほどほどにして。

 

それじゃあ早速ゥー!

 


まず初めに。

イエスマン」になる前のカールを観て、

まるでカフェラァテにそっくりだと感じたんだよね。

 

まるで自分自身を観ているようで、良くも悪くも感情移入できたというか。

 

人付き合いもそんなに得意ではないし、大人数でワイワイするのも得意ではない。

家で一人で本を読んだり、映画を観たりする方が好きだし、

出来るだけ生活のリズムを崩したくないとも考えている。

なんだかんだルーティーンも多い。

 

イエスマンになる前のカールの描写は実はそこまで多くはないけれど、

一を聞いて十を知るじゃあないけど、

 

『あぁ、そっくりだ・・・』

 

と、真っ先に思ったんだよね。。。

 

『あぁ、傍から見たらこんな感じなんだなぁ』と。。。

 

まあ何となく他の人からの見られ方ってのは想像も出来るから、

ある程度は自分の思いに反して人に合わせた行動とかもしていて、

そこまで極端な見られ方もしていないとは自分としては思ってはいるんだけど、

 

だけど、

ある程度は自分の思い通りに行動してる面もあるから、

ある程度はこんな感じで見られているんだなぁと。。。

 

まあ別にそれが悪いというわけではないんだけれどね。。。

 

だけど確かに自分の可能性を狭めてもいるんだなあと。

客観的にカールを見てそれを感じたんだよね。

 

人と比べてどうとか、人からどう思われるとかってことよりも、

 

『その行動は本当に自分の為になる行動なのか』っていうこと。

 

だから、全部が全部今の自分を変える必要はないけれど、

変えた方が良い部分も確実にある。

 

「コンフォートゾーンを出る」

ってことだね。

 

人から良く思われるってのはそんな難しいことじゃあないんだ。

最も難しいことは『自分を乗り越えること』さ。

 

 

話をカールに戻すと、

「ホームレスを車に乗せる」という最初の「イエス」が全てを変えた。

その「イエス」によってかなり極端な出来事が起きたんだけど、そこは映画。

現実世界ではそんなに極端なことは起こらないとしても、

現実世界であったとしても「ノー」を言うよりは何かが起こる。

 

それが「イエス」。

それが大事。

 

いや、そのイエスの前に実は「イエスセミナーに参加する」というイエスから始まったとも言える。

まあこれも現実にあればかなり怪しいセミナーとしか言えないけど、まずは行動するってことが大事。

参加するってことが大事。

 

まずは参加する。参加してから判断する。

リスクはあるからしっかりと自分を持たないといけないけど。

 

行動するための『イエス』。

『イエス』と言った結果の行動。

 

「ノー」と言った結果の行動、ってのもあるとは思うんだけど、

そこはあくまでも「イエス」で行動することが大事だと考える。

「ノー」からの行動は予想外の出来事を起こさない。想像通り。予定通り。

予定外の出来事が自分を知らない場所へ連れて行ってくれる。

「イエス」こそが何かをもたらす。

 

そして、そこで出会ったアリソン。

彼女は「イエスセミナー」に参加してはいなかったけど、

初めてカールと出会った時の彼女の行動は「イエス」そのもの。

エスを全身で表現していた。

 

もしかしてアリソンも実はあの「イエスセミナー」に参加していたのかも、、、

 

っていうことはないはずってのは、

カールと喧嘩したときのアリソンの言動から判断できるね。

これで実はアリソンもあのセミナーに、、、

とかって話なら、何かまた深みがあるような無いような。。。

 

 

このイエスの経験から、

カールはこの後あらゆることにイエスで対応していって人生を好転させていくんだけれども、

現実世界に目を向けると、さすがに映画みたいに何にでもイエス回答は難しいよね。

 

仕事だったらいわゆる本当の「イエスマン」になっちゃうし、

まあそれが仕事や人生にプラスになる事もあるかもしれないけれど、

仕事なんてイエスという場面だらけだし、

もっと具体的に言うとマジであらゆる仕事が降ってくる。

帰れなくなるし、休めなくなる。

そこは程度問題だとは思うけど、イエスを言うかどうかはしっかりと考えないといけない。

仕事をよりポジティブに捉えていて、

仕事に対する向上心がより強い人にとってはまた別の話だとは思うけど、、、

 

そこはカフェラァテの想像を超えた話として、今は考えないことにするよね。

 

人はみんな、明日は月曜日ってのは嫌なものなんだ。

でも必ず、楽しい土曜日がやって来るって思って生きている。

いつも月曜日ってわけじゃあないのよ。

 

カフェラァテもこのタイプの人だね。。。

 

 

ただし、

 

「迷ったらイエス

 

でもいいのかも、とは思ったんだよね。

 

 

エスが自分の想像出来ない未来をもたらすってのは、

それはそれで本当だと思うし、それは仕事においてもその通りだと思うから。

 

 

 

そして私生活面。プライベート。

 

考えてみると私生活において「イエス」を言う場面ってのは、

実は意外とそこまで多くないんじゃあないの?って思ったんだよね。

 

特に社会人になって、

仕事以外のプライベートの時間や、

友達とつるんでっていう時間そのものがすごく減っているって思ったんだよね。

 

つまり、、、

 

そもそもプライベートで人とあまり会話をしていないんじゃあないか!!

 

スタンドも月までブッ飛ぶこの衝撃・・・!!

 

落ち着け。落ち着いて考えるんだ。

カフェラァテにはネガティブという言葉はない・・・

 

 

つまり、、、

 

プライベートこそチャンス!

イエスマンになるチャンス!

何にでもイエスで回答しよう!

何にでもイエスで行動しよう!

 

 

ここで冷静になって。

 

これについてもカールの親友ピートや、

エス集団の教祖みたいなテレンスが警鐘を鳴らしていたね。

 

ピート

『物事をよく検討・熟考して、結論を出すべき』

 

テレンス

『何にでもノーというカールの体を慣らす必要があった。「イエス」は劇薬!本質は何にでも「イエス」と言うのではない。義務からではなく、心の底からイエスを言えるようになる。』

 

 

、、、何だかんだ、、、プライベートだって、、、

全部にイエスを言うのはやっぱキツくないっすかね、、、

 

って正直思ったカフェラァテにとっては救いの言葉。

映画の内容としても、極端過ぎるところからバランスをとる意味合いのあるセリフなのかもしれない。

 

そんなセリフに救われた気持ちになりながらも、

「今更これ言う?」

「極端に突き抜けたままの方が良かったかも、、、」

 

って思ったのも事実ではある。。。

 

 

それはそうとして。

そこから考えたことは。

 

カフェラァテはカールに似てるって言ったって、

カールみたいに全てにイエスを言う程の覚悟はない。

だからと言ってそれで終わったら成長は無い。

 

だとすると、、、

 

単に「面倒くさいから」とかではなく。

単に「恥ずかしいから」とかではなく。

 

「人生に変化をもたらす答えは何か」

「人生を豊かにする答えは何か」

「本当はイエスと言いたいのではないか」

「これは自分を前進させてくれる選択か」

をよく考えて選んでいくことが大事だということ。

 

 

そして。

 

「面倒だと思ったらイエス!」

「恥ずかしいと思ったらイエス!」

「どっちか分からないならイエス!」

「迷ったらイエス!」

 

でいいんじゃあないの?

そんな精神でいいんじゃあないの?

 

そして。

 

必ずしもイエスだけが良く、ノーが悪いというわけではない、

ということも同時に認識しておくこと。

 

カールをセミナーに誘った友達。

彼は石を投げてビルの窓ガラスを割ったけど、そのイエスはさすがにダメなやつじゃあないの?犯罪じゃあないの?

 

まあ映画だからね。相変わらず極端。

 

 

結局は自分自身が一番よく分かっているはず。

 

「ノーマン」で「保守的」な自分。

まずはそれを認めて受け入れること。

 

世の中・・・自分というものをよく知るやつが勝つんだ。

全ては、己の弱さを認めた時に始まる!

 

 

カールはイエスの行動でアリソンと「分かち合えるもの」を手に入れることが出来た。

 

カールは

「面倒くさがって『ノー』を言い続けることは本当は良くない」

「それじゃあ分かち合えるものを手に入れられない」

と自覚していたんじゃあないだろうか。

 

家で一人で映画を観ながら死んでるところをピート達に発見されるっていう夢も見てたしね、

無意識が夢に現れたってことだろうね。

 

それに、

カフェラァテとカールは似てるから、分かる。

よーく、分かる。

 

 

だから思う。

 

これまで言ってきた「ノー」は、

実は「本心のノー」ではなかったんじゃあないだろうか。

 

本当は「イエス」と言いたかった「ノー」も、

たくさんあったんじゃあないだろうか。

 

面倒くさい、恥ずかしい、自分はこんな人間だから、自分のガラじゃあない、自分はそういうタイプじゃあない、自分はそういうキャラじゃあない、他の人は自分をそうはみていない、、、、

 

本当はやりたいけど。

本当はやってみたいけど。

 

「ノー」を言う理由は様々だけど、

本当はどうしたい?

本当はどう在りたい?

本当はどうなりたい?

本当はどういう人間になりたい?

他の人は関係ある?

他の人は自分をより良くしてくれる?

他の人は本当に自分のことをそう思ってる?

他の人はそんな風に自分を見てる?

他の人のことを自分で勝手に決めつけてない?

 

素直にイエスが表現できるアリソンだからこそ、カールは惹かれたのかもしれない。

 

いやまあ普通にアリソンは可愛いんだけどね。。。

 

そのアリソンも『私にも恐いものはある』と言っていた。

本当はアリソンも、人生を良くするために頑張っていたんだろう。

人生をより良くするために、行動で切り開いていたんだろう。

 

 

『いいの、楽しければそれで。』

『世界は遊び場。皆最初は知ってるのに、大人になる途中で忘れてしまうの。』

 

 

アリソンのそんな言葉を体現するもの。

それが「イエス」なのかもしれない。

 

結局、

「楽しい」「気持ちいい」「心地よい」と思える時間が多ければ多いほど、

幸せなんじゃあないのかな。

お金とか見栄とか誰かにどう思われるとかじゃあなく。

 

「ノー」で得られるそれらのものより、

「イエス」で得られるそれらのものの方が大きくて尊いことが多いってことも、

自分で分かってるんじゃあないのかな。

 

少なくとも「ノーマン」のカフェラァテはそう思う。

 

 

 

最後に話は逸れて、、、

 

 

カールの口説きテク、コミュ力、頭の回転よ。。。

 

アリソンの元カレ話に対して。

「共感」からの絶妙な切り返し。

 

『そんなに長い話なら先に言って欲しかった!笑』

『次は切るとこ切って!笑』

 

ポテンシャルめちゃ高いっすやん!!!

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!

映画の観方

「読書術」に関する本をいくつか読んできて、『本の読み方』という記事を書いた。

本の読み方 - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

 

その後、2冊分しかまだ記事には出来ていないんだけれども、

カフェラァテは映画鑑賞も好きで、映画から何かを感じ、学ぶことも多く、

本と同じように自分をアップデートさせ、成長させてくれるものだと思っている。

だから、本と同じように『映画の観方』として自分なりに整理して、

アウトプットしていきたいと考えた。

『映画の観方』に関しては、『本の読み方』での「本」のところを「映画」に置き換えつつ、映画の特性みたいなものを反映させながらまとめたいと思う。

 

映画に関しては、

「単純に娯楽ッッ!」って側面と「されど映画!新たな価値観で自己成長に繋がるッッ!」って側面が両極端だったり、共存したりで、「自己成長ッッ!」って感じになりすぎると楽しめるものも楽しめなくなるし、映画を観ること自体が嫌になったりしてしまうかもしれないから、楽しめるし自己成長できるし、っていう良いバランスを考えて整理していきたいとは思うんだよね。

 

やっぱさ、映画ってのはさ、最優先事項は楽しむこと!!

 

楽しみながら何かを感じれば、樺沢紫苑さんっぽく言うと、

ドーパミンやら何やらの脳内物質がドバドバ出て、

それなりに勝手に記憶に定着するんじゃあないかって思うしね。

 

楽しさと自己成長を両立させられるような『映画の観方』になればいいなあと思って。

 

それじゃあ早速ゥー!

 

 

1.観ている間


観ている間は集中する。何かをメモったりしない。観ることに集中する。

 

集中して楽しむ!

 

「ただ見るんじゃあなくてよく観ることだ、ただ聞くんじゃあなくしっかり聴くことだ」

 

 

映画を見ながらメモすることを否定はしないが、、、それって楽しいの?

 

しかも映画館で観ているとしたら、それはもう不可能に近いんじゃあないか?

 

 

2.観終わってから


とは言え、感じたことや学んだことを即座に記録したい。

「楽しかった」で終わってもそれはそれで良いんだけど、

何が楽しかったのか、何を感じたのか、学べたのか、

を記録したい。

記録と言っても殴り書きでOKだという事にするよ。

 

カフェラァテはこれまでの経験上、

どんなに楽しかった映画でも、どんなに感動した映画でも、どんなに興奮した映画でも、

数日経つと内容や感想すら忘れてしまうという事が何度あっただろうか。。。

 

、、、いやッッ!カフェラァテだけじゃあないはずだと信じているッッ!

 

「1本の映画を観終わったらキチッと忘れるだろう?誰だって忘れる。おれも忘れる。」

 

 

せっかく観たのに忘れたじゃあ勿体なさすぎる。

映画はあくまでも娯楽だし、その時を楽しむためにあるものでもあるから別にいいじゃあないかという考え方もあるとは思うけど、やっぱり勿体ないと思ってしまうんだよね。

 

だからメモる。

記録する。

殴り書く。

 

とりあえず何か書く!

 

アウトプット!!

 

樺沢紫苑さんも、

映画館で映画を観終えた後は近くのカフェなんかに駆け込んで、

紙にばあーっと書き込むらしい。

映画館で観たならばそうするのが一番いいし、

家で観たならば家の机で即座に書く!

 

きれいにまとめなくてもいい。思ったこと、考えたことを殴り書きでいい。

記録に残すことも大事だけど、

「書く」という行為が記憶に残す。

 

「書く」ということ。それが大事なんだって話。

 

家で観ている場合、もしも途中で中断したら、

出来るだけそこまでの内容をザーッと紙に書くようにする。

ちゃんと書かなくていい。書くという行為が大事。

書くことで記憶に残り、思い出しやすくなる。

書いていないことも記憶に残る。

 

『書く』という事が大事なんだよね。

 

 

3.ノートへの整理


2で殴り書いたものを、別のノートにある程度整理する。

整理と言ってもストーリーを整理するのではない。

 

自分の意見・考え・感じたことを書く。

感想・学び・アクションプランを書く。

 

映画の要約サイトや紹介記事を作るわけじゃあない。

あくまでも自己成長の為。

楽しんだ上で成長する為。

楽しかった記憶を残すため。

 

長々と書く必要はない。たくさん書く必要はない。

 

余談だけど、ノートへ整理する前段階として、熱々の気持ちでツイッターに上げることも考えた。立派なアウトプットの一環として。

 

読書の話ではあったものの、樺沢紫苑さんもツイッターの有用性を説いていた。

 

が、やっぱり「ネタバレ」の危険がある。

フォロワーだって全然いないし、自意識過剰かもしれないけれど、

やっぱりたまたま目に入るってこともあるからね。

これは読書に関する↓の記事でも全く同じことを書いたね。

本の読み方 - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

 

内容次第だとは思うけど、何がネタバレになるのかは人それぞれ。

ツイッターだと『ネタバレあり!』って注意喚起もほぼ意味がない。

映画もやはり、自分で作ったエクセルの一覧表を活用しよう。

何を観たかを残したいが為の一覧表にツイートレベルの内容で簡単に整理して、そこからノートに整理しよう。

 

映画によっては一覧表への整理だけに留めてもいいね。

殴り書きすらやらず、この一覧表だけ。

逆に言うと、この一覧表への整理はマストってことでもあるね。

 

ていうかどんだけ書くんだって話なんだけど、

「記憶に残すためには3回アウトプット」が大事。

精神科医が教える「読んだら忘れない読書術」(樺沢紫苑著) - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

 

だから、

簡単に・手短にでもいいから書きたいと思っているんだよね。

 

殴り書き・一覧表・ノートで3回!!

 

「空気を吸って吐くことのように、HBの鉛筆を指でべりっとへし折ることと同じように、書いて当然と思うことですじゃ。大切なのは書くことですじゃ。書いて当然と思う、精神力なんですぞ。」

 

 

4.ブログにアップ


そしてブログ。

ノートにまとめたことを「人に見てもらう」という意識でブログに書く。

 

また書くんかいな!

 

3回どころか4回目やん!

 

 

「何言ってんだい?羨ましいかい?君たちも書きたいのか?」

 

 

 

そして、書くのはあらすじや解説じゃあない。

 

自分の意見・考え・感じたことを書く。

感想・学び・アクションプランを書く。

 

人に見てもらおうとしてて、なんではあるけど、

あくまでも自分の成長の為に書く。

それが他の人にとっても気付きかなんかになってくれればいいなって感覚で書く。

 

念のため、

タイトルには【ネタバレあり】と書こう。

 

 


「観る」のも「まとめる・書く」のも楽しいのが一番。

自由に。気軽に。気楽にやろう。

やりたくなければやらなくていいってくらいで。

 

観る時だって自由に観よう。

 

齋藤孝の速読塾 これで頭がグングンよくなる!(齋藤孝 著)<第二部> - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

 

↑で書いた水道橋博士北野武のエピソードにもあるように、観方は自由だ。

何倍速で観たっていい。飛ばし観したって構わない。

 

自宅で観るならね。

 

 

つまりは例のあれだね。久しぶりに出すことになるね。

 

「齋藤マインド」

 

これは凄く大事なキーワード。

 

とにかく。

 

映画から何かを吸収出来て、成長出来れば、こんなに素晴らしい事はないよね。

 

楽しい上に自己成長出来る。

 

まさに一石二鳥。

 

気負わず。気楽に。気楽に。

 

映画なんだから。

楽しむためのものなんだから。

 

とかなんとか言いながら、

紙に書くやら記録するやら整理するやら記憶に残すやら自己成長やらって、

肩肘張ってるやんって感じなんだけど、

 

それはそんな感じにも見えがちなんだけど、

 

大前提としての「映画は楽しいもの」っていうことは忘れないこと。

 

結局、これを忘れないこと。

 

結局、楽しむことを最優先にすること。

 

それが出来れば問題ない!肩肘だって張りたくても張れない!

 

それが出来ないのなら、、、

この記事に書いた事は

全部やらない!!

書かない!!

何も書かない!!

 

 

アウトプットを全て完璧にやらなくてOK!

やりたいアウトプットだけやればOK!

やりたくなければやらなくてOK!

 

 

やっぱり齋藤マインド

本当に大事、齋藤マインド

ほんと勝手に名付けてるだけなんだけど、齋藤マインド

 

W杯での長友のブラボーばりに流行ってもおかしくないと思うんだけどね。

 

あまりの力不足に、エンヤ婆に言われるよね

 

「カフェラァテ?あいつ?あれはただのカスじゃ!」

 

 

映画は思い出。

 

心に残るもの。

 

記憶に残るもの。

 

だから好きなんだ。

 

生きるという事はきっと「思い出」を作る事なのだ・・・「思い出」が細胞に勇気を与えてくれるのは間違いない

 

映画を観るという事は、「思い出」を作る事。

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!

(図解ポケット)マインドフルネスがよくわかる本(樫尾直樹 著)

この本を手に取った理由。

 

それは、

「マインドフルネス瞑想って、1回あたりどのくらいの時間やったらいいの?」

と思ったから。

 

そのシンプルな1つの問いの答えを得る為。

 

ネットには10分で良い、15分が良い、毎日続けることが大事であり5分で良いとかって書いてあったり、時間に言及されてない記事も多かったりするんだよね。

 

前回のマインドフルネス瞑想に関する記事

マインドフルネス瞑想入門(吉田昌生 著) - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

でも、具体的な実践時間にはそこまで触れられておらず、

 

「毎日続けることが大切で、1日3分で良い」といったことも書かれていたけれど、

ベースとして何分間が適切で効果的なのかってことを、

この頭でっかちなカフェラァテは疑問に思っていた。

 

たった1つのシンプルクエスチョンの答えを求めて本屋でマインドフルネス瞑想の本を探し回り、立ち読みを繰り返していると、現実問題、具体的な実践時間に言及されている本っていうのは本当に少なくて、

そんな中ほとんど唯一と言っていいと思うけど、具体的に時間に言及されていたのが本書だったんだよね。

だから迷わず買い、ひと通り読んで、実践時間に関すること以外にもマインドフルネス瞑想を実践する上でのプラスになることを知った。

本書は、実践者の気持ちに寄り添っている感をひと際強く感じた一冊だったと思う。

 

というわけで、

それじゃあ早速ゥー!

 

1.実践時間(何分間行うのが良いのか?)


早速メインの目的について。

「実際問題、何分間やればいいの?」の問題の解決。

 

『1日20分間』

 

それが本書の答え。

 

まあ本当は、マインドフルネス瞑想の事だけを考えたならばやれるだけやればいいんだろうけど、人間生活を送っていたらマインドフルネス瞑想以外にもやるべきことは色々ある。当たり前だねえ。

 

そんな中で、じゃあ何分間やればいいんだっていう問いに、ある意味ストレートに答えてくれていたのが本書であって、それは意外と他の本には書かれていない珍しいことだったんだよね。

 

『大脳生理学の研究成果』から、瞑想を15分行うと呼吸がゆっくりと深くなり、心身がリラックスしてα波という脳波が発生することが明らかにされているそうで、

このことから、マインドフルネス瞑想を15分行ってリラックス状態に入り、その状態をさらに5分間持続させることでリラックス状態を味わうという理由だそう。

 

この「大脳生理学の研究成果」っていうのが、1960年代以降の研究成果だそうで、

それがそのーなんつーか、なかなかに古いなっつーんですかあ

もっと最近の研究成果だったらもっと嬉しかったっつーんですかあ

2019年発行の本だからもっと最近の研究成果もあったんじゃあなかろーかっつーんですかあ

 

いやいやそれがなかなかないから古いデータなんだよっつーんですかあ

だからネット記事やら他のマインドフルネス瞑想関係の本でもそこまで時間にどっしりと言及されていないんじゃあないのっつーんですかあ

いやいや研究成果がそんなにないってことはマインドフルネス瞑想の効果自体に疑問符がつくんじゃあないのっつーんですかぁ、、、

 

いやいやだけどマインドフルネス瞑想の効果は科学的に証明されているからこそ有名企業でも取り入れられているんだからやっぱ効果はあるに決まってるだろっつーんですかあ、、、

 

何はともあれ。

 

自分の体感でもマインドフルネス瞑想には効果はあると思うし、本やらネットからでも脳の血流とか脳の特定の部位の変化だとかはやっぱり確認されているみたいだから科学的にも効果は認められていると思うから、

 

効果はある!それを信じている!

 

とどのつまり!

 

科学的な研究成果は良く知らないが、僕には実践する理由がある!

ジョナサンマインド!

時には何よりもそれが大事!

 

しかしながら、突き詰めるとするならば、マインドフルネス瞑想の科学的な効果にフォーカスした本を読まないといけないという結論も視野に入ってくるっつーんですか、、、

 

何はともあれ。

 

20分間という明確な答えを書いてくれている本は本当に少ないという感想。

だから、今のところは20分間を目標に実践する。

今後、新たな根拠と新たな答えが見つかれば変わってくるかもしれないけれどもね。

 

そして、本書を含めていろんな本に書いてあるように、毎日やることが何よりも大事。

20分やることが難しい日も多いから、5分でも3分でも1分でもいいからやる。

 

20分という理想の数字を知っているからこそ、5分や3分だけでもやることの意味を感じられるってもんだ、って思うんだよね。

 

 

2.実践の時間帯(いつ行うか?)


カフェラァテとしては、以前の記事でも書いたように「いつでも良い」と思っている。

どの時間帯で行うよりも、短くても良いから毎日実践することが大切で、忙しくて時間がないなら3分でも良い

 

本書の著者の意見をざっと紹介すると、

 

最適なのは「朝(起床後)」である。

一日の始まりに行うと、穏やかなリラックスした気持ちが持続し、1日のパフォーマンスが上がる。

食事前に行うのが良い。

前後の時間に余裕を持つことが大切。なぜなら、時間に余裕がなく、慌てて行ったりやっつけ仕事になると逆効果だからである。

朝以外に行うとすれば、「食後すぐ」と「夜寝る直前」以外であればいつでもOK。

食後すぐがNGな理由としては、瞑想によって呼吸が深まると腹式呼吸になり、内臓のマッサージ効果で気持ち悪くなり、最悪嘔吐する為である。

寝る直前がNGな理由としては、マインドフルネスで呼吸に意識を向けることは眠ること(呼吸など何かを意識しないこと)と真逆のことなので眠れなくなる為である。

 

いつやるかについては言ってることはよーく分かるけれども、そう理想通りの生活ができないのも事実。

確かに朝一やれれば一番良いんだよね。休日なんかはやれるけど。。。

 

食後や寝る直前に関しては、

言われてみればそんな気もするけれど、食後すぐも寝る直前もどちらもやったことがあるカフェラァテとしては、そこまで気にする必要はないような気はしているんだよね。それよりもやれる時、やりやすいタイミングでやることの方が大事というか。

 

ただ、それも人によっては本当に悪影響とか逆効果なこともあるだろうから無責任なことは言えない。避けられるのであれば上記のタイミングは避けた方が良いのだろうね。

とにかく本書は凄く実践的で、実際に起こりそうでぶち当たりそうな悩みなどに具体的に言及してくれているという点が特徴的で親身な本だと思わせられる。

 

ボロボロになって死にそうになっているしげちーにボールをぶつけて「ごめんごめん、君大丈夫?」「ほっときなよ、気持ち悪い」とか言っている鈍感で無神経なぶどうヶ丘高校の女子生徒とはわけが違うんだよね。

 

 

3.実践の回数(1日に何回行うか?)


マインドフルネス瞑想は1日に何回行ってもOKだという。

(ただし瞑想の種類によっては回数が限られるものもあるそう)

むしろ1日中マインドフルネスでいられる事が究極の目標だという。

 

 

4.日常生活に取り入れるマインドフルネス


本書では、わざわざ時間を確保せずとも日常生活の様々な場面で実践できるマインドフルネスがいくつか紹介されているので、その中でも特に気軽に実践出来そうだなあというものをここでいくつか抜粋して紹介しようと思う。

 

ちなみに著者の根底にある考え方は

マルチタスクを止める」

ということ。

やりたいこと、やるべきこと、やらないといけないことが多い現代人は、どうしてもマルチタスクになりがちなんだけれども、

マルチタスクをしていると、今現在の状態や行っていることを味わうことができず、心も落ち着かず、体も力みストレスがかかってしまう。

そんな状態を解消するのがマインドフルネスだという。

マルチタスクを止めて一つの事を味わえばそれがマインドフルネスなんだ、という考え方をもって以下を見てほしいんだよね。

 

①歯磨きマインドフルネス

口の中で起こっていることを観察する。

  • 歯ブラシの当たり方
  • 歯の形状や歯茎の感覚
  • 舌の動き

これらを言語化することなくひたすらに感じる。観察する。

 

②ガムを噛むマインドフルネス

ガムを口の中で噛んでいる時に口の中で起こることを感じる。

ちなみにガムの種類は何でもよい。

 

③作業行為に専心するマインドフルネス

家事などを、音楽を聴きながらなどのマルチタスクはせずに、作業そのものをじっくりと味わう。

 

④歩くマインドフルネス

  1. 息を吸っている時と吐いている時のそれぞれの歩数を「心の中で」数えながら歩く。「心の中で」じゃなくて声に出してもいいとは思うんだけど、周りの人に変な人だと思われそうだよね笑。
  2. 足が「着地する時」又は「離地する時」のどちらかを選んで、「心の中で」『着いた』又は『離れた』と言う。

 

⑤聴くマインドフルネス

「聴きたい音」に集中するのではなく、「周りの音全て」に意識を向ける。個別の音ではなく、一つのまとまった音として認識する。

聴きたい音に『集中する』と、呼吸に『集中する』のと同じで緊張を伴うそう。

 

 

しつこいけれど、何をするにしても「マルチタスクを止めてマインドフルネスに行えばそれがマインドフルネス瞑想になる」。

やっていること、状況、見えるもの、聞こえるもの、感覚、、、

それらだけを観察する。それらだけを味わう。あくまでも「集中する」のではなく。

 

大事なことだから何度でも言う。

 

マルチタスクはNG!>

 

何度も言わせるってことは、無駄なんだ。無駄だから嫌いなんだ。なぜなら、2度言うってのは無駄だからだ。君の人生のために言うけど、無駄はやめた方がいい。

 

ってジョルノは言うけど、無駄じゃないからカフェラァテは何度でも言うよ。

 

マルチタスクはNG!>

 

 

5.感情への対応


①自分のイライラに対して

  1. イライラに気づいたら、イライラを眺める。イライラを味わう。
  2. イライラの感情を眺めると、イライラの本当の理由に気づく。
  3. イライラを眺めていると、しばらくしてイライラは消える。
  4. またイライラしてきたら、また眺めて味わう。
  5. これらを繰り返す。

イライラを眺めて味わうだって!?

ブルっちまう特技だね!!

やるっきゃない、やればわかるさ

 

②ポジティブな感情に対して

  1. ネガティブはもちろんだが、ポジティブな感情でも感情に巻き込まれたら自分や周りが見えなくなる。
  2. ポジティブな感情にも意識を向け、観察する。すると、ポジティブな感情を深く味わうことができる。
  3. 少しずつポジティブな感情は消え、元の状態に戻る。
  4. ネガティブでもポジティブでも大げさにならず、じっくりと味わえるようになる。これが『メンタルが強い人』と言える。

 

It's So Cool!!

ジョルノかってくらいに Coolだね!!

 

これらはあくまでも著者の考え方ではあるけれども、

前回の記事で書いた下記の問いへの一つの回答を得たような気がする。

「ネガティブな時」はわかる、スゲーよくわかる、そりゃあそんな感情に流されたってイイことないからな。だが「ポジティブな時」ってのはどうなんだ。身を任せたら幸せだっつーのよー。

『メンタルが強い人』の定義は色々あると思うし、人それぞれの考え方があるはず。

著者の考え方も納得できる。大きく感情がぶれない。

高いところでぶれないのか、低いところでぶれないのか。

高かろうが低かろうが、どちらにしろぶれないことが大事。

そういう気もする。

 

だけど、ポジティブな感情に丸ごと身を任せて巻き込まれたら、それはそれで幸せだって気もする。

 

答えはないのかもしれない。

考え方、、、いや生き方の違いによるのかもしれない。

 

マインドフルネスは想像以上に深いのかもしれない。。。

 

 

それにしても、

ドイツに勝ってコスタリカに負けたあの時

を思い出すね。。。

正解はあるのか、、、幸せとは、、、深い、、、

 

 

6.実践における注意点


『何かの心の病のある人は、症状が軽くても必ず医師に相談すること』と書かれている。

親身ですねえ、ここまで書いてある本はどのくらいあるのだろう。

 

実際に心の病に影響するのかどうかは分からないけれども、その性質上影響する可能性はあるとは思う。

「マインドフルネスが精神疾患の治療に有効であるという研究結果や実績もある」というのは本書にも書かれていて、ネット記事等でもよく目にするけれども、ならば逆に個人個人の判断で行わずに医師に相談すべきだというのは確かにそうだと思う。

 

この件に限らず、本書全体の「読者やマインドフルネス瞑想の実践者に具体的に寄り添った文面」に、カフェラァテはとても好感を抱いたんだよね。

 

ぶどうヶ丘高校のあの女子生徒たちに爪の垢を煎じて飲ませたいもんだ。やれやれだぜ。

 

ちなみに相談する医師は医師でも、マインドフルネスに知識のある、出来れば実践している人の方が良いとのことだけど、それはそうだよね。理解がなけりゃあ意味がない。

先にも書いたけど、マインドフルネス瞑想の精神疾患への効果が明らかになりつつある為、そのような医師も増えてきているそう。

 

マインドフルネスは気軽に始められるし、是非とも始めた方が良いって言える素晴らしいものだとは思うんだけど、注意事項もあるってことだね。

なんでもそう、メリット・デメリットを自分なりにしっかり認識した上で行動に移す、ってのが大事だってことだよね。

 

 


前回のマインドフルネス瞑想入門(吉田昌生 著) - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプットと今回で、カフェラァテ自身はマインドフルネス瞑想についての理解が深まったと思っている。

実はあと1冊、マインドフルネス瞑想に関する本を読んだんだけど、そんなに大きな発見があった訳ではないという感想だった。

ちなみに読んだのはこの本。

サーチ・インサイド・ユアセルフ|書籍|英治出版

 

つまりマインドフルネス瞑想に関しては、大枠を掴んで押さえればそれでOK。

細かいやり方や考え方は確かにあるし、それをマスター出来ればより良いのかもしれない。だけどマインドフルネス瞑想は、それをやる事が、ましてや完璧にやる事が目的じゃあないんだよね。

実践して「効果を得る」ことが目的。

実践する為にはお手軽さや気軽さが何より大事だし、お手軽に気軽にやれるのがマインドフルネス瞑想。お手軽に気軽にやるだけで効果を得られるのに、細かいことを気にしてそもそもやらないんじゃあ意味がないし、もったいなさ過ぎる。

 

だからこそ。

 

もしカフェラァテのマインドフルネスに関する記事を読んでくれた人がいるならば、

その記事から感じられた大枠・ポイントだけを押えて、ぜひ実践してほしいなあと思うんだよねえ。

 

 

今日も今日とて。

 

鼻先の呼吸を「観察」しようか。

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!

マインドフルネス瞑想入門(吉田昌生 著)

マインドフルネス瞑想に興味を持ち、ネットなんかで色々調べながら自分なりに実践してみた。

それだけで何となく、いや明らかに効果ありって感じを実感した。

カフェラァテが実感した効果とは一体何かと言うと

 

「感情のコントロール「穏やかな精神状態」

 

マインドフルネス瞑想の効果は色々言われていて、本書にもたくさん書かれていたし、この記事でも紹介したいと思っているけれど、何よりも一番実感したのがこの2つ。

明らかに違う。

 

仕事でもプライベートでも、

「イライラしそうな場面」「焦りそうな場面」「人に文句を言ってしまいそうな場面」でふと冷静になり、集中力を取り戻し、やり過ごすことが出来る。

イライラしそうになったら、焦りそうになったら、他人に文句を言いたくなったら、

「イライラしてもいいことないよな。分かってるんだよね。それは昔から、徐倫に対するジョナサンってくらい昔から、分かってるんだよね。落ち着こう。」

って思えるようになったんだよね。

 

また、悩みや心配事や嫌な出来事があった時、マインドフルネス瞑想をすると

「まあいっか。なんとかなる。やれることを淡々とやっていこう。」

って思えるようになったんだよね。

 

それらを実感しながらも、

「今のやり方は正しいのか」

「もっと良いやり方があるんじゃあないか」

「もっと効果を上げられるんじゃあないか」

と思い、

「これは一度きちんと体系的に知りたい!」と思って本書を手に取ったんだよね。

 

本の内容と、実践してみての感想や考えを織り交ぜながら書いていきたいと思う。

 

それじゃあ早速ゥー!

 

 

1.マインドフルネスとは


まず、マインドフルネスとは何か。

色々なところで色々な説明がなされているけれど、

本書では

「たった一つのことに『集中する』こと。そして、『集中が切れたことに気づく』こと。」

といった説明がなされている。

また、マインドフルネスの逆を「マインドレスネス」といい、

●注意散漫

●無意識状態

●思考に飲み込まれる

●何となく何かをやっている

といった状態のことをいう、とも書かれている。

 

マインドフルネスで「今、ここ」に100%心を向けることが「脳や心のトレーニング」になり、マインドフルネスの数々の効果をもたらすのだという。

 

「今、ここ」

 

超重要ワード。

 

そしてもたらされる効果が

集中力、心の安定、ストレス緩和、冷静さ、頭の整理、幸福感、睡眠の質の向上、、、

 

「今、ここ」に集中して脳や心を鍛えると、これらの最高の効果を得られる、、、

 

まさに

「感情のコントロール

「穏やかな精神状態」

 

最高じゃあないかっっ!!

 

本当かよと思うだろう。

 

こればっかりは、まじでやらなきゃわかんないって感じなんだよね。

やろうと思えるかどうか、やってみるかどうか、それしかないんだよね。

カフェラァテは何故やろうと思ったのか。何故興味を持ったのか。。。

 

いやはや、当時の自分に感謝ッ!

ぼくは、ぼくに敬意を表するッ!

 

やらなきゃわからない。

やればわかるさ

 

 

2.基本的なやり方


やり方は色々あって、本書でも様々紹介されているけれど、

専門的で細かいテクニック的なところにこだわったり、正しさを求めすぎると、余計に緊張やストレスを生むってことも書かれていた。

実際にやってみて本当にそうだなと思ったし、大事なのは

 

●姿勢を正す

●自分の呼吸に意識を向ける

●意識がずれたらまた戻す

●これを繰り返す

 

ってことだけ。

シンプルに考えるんだ。これだけでいいんだ。ってことなんだよね。

 

「テクニックなんかはあくまでも瞑想を深める為の手段であって、目的ではない」

と書かれているし、その通りだと思うし、カフェラァテ的に言うならば、テクニックが逆効果をもたらすのであればとりあえず無視したら良いと思うんだよね。

 

あくまでも瞑想のど素人ともいえるカフェラァテの個人的な意見だけどね。

 

 

3.瞑想前の準備運動


瞑想をする前に、瞑想を深めるための準備運動的なものもいくつか紹介されていた。

 

これもテクニック同様!どうでもよいと割り切る!!

 

 

紹介されていた中で、カフェラァテが唯一実践しているのは「首や肩周りのリラックス」。

以前から、首と肩辺りを緩めることには科学的にもリラックス効果があると聞いたことがあったから、これはやっている。

 

『首と肩を3回ずつ、大きくゆっくり回す』

 

と書かれていたけれど、回数はどうでもいいんだ!!

ほぐれたって感じられればいいんだ!!

カフェラアテは首を2回くらい回し、肩は適当に回しているんだ!!

何となく回し過ぎは良くなさそうだから気を付けているんだ!!

 

まあ、つまりはその辺はどうでも良いということだよね。

これもあくまでもカフェラァテの個人的な感想だけど。

 

 

4.瞑想に適した呼吸


「何よりも『自分が気持ちのいい呼吸』が大切」「浅くても、深くても良い」

とある。確かにそう。確かにそうなんだけど、

 

「気持ちのいい呼吸」

 

って何なんだろうってのは未だに思うね。

 

強いて言えば、ゆっくりと、じっくりと、吸って、吐く。

気持ちがいいかと言われれば、それは分からない。

でも、落ち着くという感覚。

 

感覚と言うものは人それぞれ。言語化が難しいもの。

書かれていることにこだわる必要はないよね。

何となく、雰囲気を感じ取るってことも時には必要。

 

無理に正しさを求めすぎて「呼吸をコントロールしよう」と思うと不自然になり逆効果になる、と本書でも書かれている。

 

そして、口呼吸ではなく鼻呼吸。吸うときも吐くときも鼻。これはマスト。

鼻呼吸は量や湿度の調整が利き、喉の粘膜の保護になる。

目的をもってあえて口呼吸をする、っていうテクニックもあるようだけれども、基本的に特に指示がなければ鼻とのこと。

実際にやってみてもそう思う。

 

口呼吸だと

砂漠で水場にありつけず眼球が干からびて眼球にヒビが入るってくらいにのどが乾燥する。

やりたくても出来ない。それが瞑想での口呼吸。やったら喉がパリッパリになるってもんですぜ。

 

鼻呼吸。これは大事。

誰だってそーする。おれもそーする。

 

呼吸する時のポイントは、

①鼻先を出入りしている息を観察する。入ってくる息は冷たく、出ていく息は温かく、湿っている。(出ていくときの呼吸は温かくもなく湿ってもいないように感じるが、、、体温と同じ温度だからかな、、、)

②おなかの奥の方で膨らんだりしぼんだりする身体感覚を観察する。

 

呼吸・息に「集中する」っていうよりも「意識を向ける」「観察する」っていう言葉。

 

なぜか。

 

呼吸に集中するってのは、

動作を起こそうとしていること。

呼吸をコントロールしようとすること。

 

観察するってのは、

感じていること。

ありのままを感じている。

能動的に動きを起こすのではなく、起こったことを感じている。

 

呼吸をコントロールしようとすると不自然になる。逆効果になる。

 

 

5.瞑想の姿勢


瞑想の姿勢は本当に色々ある。手の組み方、足の組み方。それら組み方の名称も色々ある。

 

が!

 

どーでもよい!

 

 

割り切る。カフェラアテは割り切る。

カフェラアテがやっているのは

●骨盤を起こす

●背筋を伸ばす(時間が経つと猫背になるので、それに気付いたら戻す)

●あぐらをかく

●あぐらをかいた両ひざの上に両手の手のひらを上に向けて置く(手のひらを上に向けると胸が開きやすいらしい)

 

これくらい。これくらいシンプルにいこう。

今思えばあらゆるスタンドの中でも抜群にシンプルな、シルバーチャリオッツくらいシンプルでいこう。

 

 

6.瞑想を行う時間帯


これもいつでも良いと書かれている。

行う時間帯によって感じ方が変わってくるから、自分好みの時間帯でやればOK。

どの時間帯で行うよりも、短くても良いから毎日実践することが大切で、忙しくて時間がないなら3分でも良いと。

 

カフェラァテとしては、夜寝る前に行うと非常に眠たくなる。眠気我慢大会みたいになる。

眠気と格闘し、一瞬意識を失ったことに気づく、、、

そういう瞑想、、、気づき、、、

これはこれで瞑想になっているようなないような、、、

 

ただ、眠気との格闘は非常に苦しい。まさに苦闘。

 

カフェラァテは、平日は仕事終わり、帰宅直後、手洗いうがい着替えを済ませてからサッと行うように習慣づけている。

 

それでも眠気は襲ってくるのだけれどもね、、、

 

休日は、

朝起きて、窓を開けて、トイレ行って、うがいして、顔を洗って、水を飲んで、着替えて、ラジオ体操して、もっかい水を飲んでから瞑想している。

誰も興味のないモーニングルーティーン。

 

この休日の朝の瞑想は、終わった後本当に心地よい感覚がある。

頭や心が無の境地になってから、改めて一日をスタートできるという感覚。

 

ワシはパニックを知らん男

って感じの人物になった気がしてくる。

 

平日にもこれができたらいいんだけど、なかなか難しいんだよね、、、

 

 

7.瞑想のポイント


●「今、ここ」にただ静かに存在していることが人生の目的であるかのように「何もしない」ことに専念する。

●感じたこと、気づいたこと「全て」に対して、良い・悪いと判断しない。感覚を感覚として感じる。

※「出来ている、出来ていない」「湧いてくる思考」にも気づいたら手放す。

※ジャッジしてしまった自分を「ダメだ」とジャッジしない。気づいた時点で手放す。

●何度でも何度でも『「呼吸を観察する」→「思考に気づく」→「呼吸の観察に戻す」』を繰り返す。

 

とにかく、ただただ呼吸を観察し、呼吸を感じ、勝手に湧いてきた思考に気づいたら、それを良いだの悪いだの、なんでまた思考が浮かんでくるんだぁ嫌だなぁだの、これは瞑想になっているのかなぁ意味あんのかなぁだの、自分は瞑想に向いていないのかなぁ明日から止めようかなぁ・・・だの、いつになったら瞑想がばっちりできるようになるんだぁだの、、、

 

そんなことはなーんにも考えず、

機械のように、自動的に、

呼吸の観察に戻るってことを繰り返せばよいとカフェラァテは思っている。

 

やってみるとわかる。多分間違ってはいない。

 

 

8.マインドフル瞑想は脳の筋トレ


「瞑想の目的」は

●無になることではない

●何も考えないことが良いわけではない

●考えてリラックスできないことが悪いわけではない

 

「瞑想の目的」

 

それは、

『内側で起こっていることを観察し、気づくこと』

 

自動的に湧いてくる思考に気づいて、戻す。

気づいて、戻す。

気づいて、戻す。

 

それを行っている限りマインドフルネス瞑想に失敗はない。

 

いやぁ、なんて心強い言葉。シンプル。

失敗がないとか最高じゃあないか。

 

①気づいて戻す。気づいて戻す。何度も気づいて戻す。

②これまで使っていない脳の領域での血流を促す。

③「気づく力」が養われ、集中力を保てるようになる。

④感情的にならず、落ち着き、小さな幸せを感じるようになる。

 

この①~④のプロセスが脳の筋トレ。

マインドフルネス瞑想中には実際に脳の特定の部位の血流が多くなるという研究があるようで、まさに脳の筋トレ。

 

筋肉は脳にはないだろうから、

脳トレ。脳みそトレ。

 

、、、

 

「脳の筋トレ」が一番しっくりくるね!

 

んなこたア大したことじゃあねーだろ康一!!

 

 

9.瞑想で実感できる境地


「思考・感情は無常なもので、本当の自分ではない」

 

これが辿り着ける一つの境地だという。

本当の自分とは「考えていること・感じていること」を少し引いたところから観察している『意識』のこと。

 

イメージとしては、

大空があって、そこには薄い雲・濃い雲・黒い雲・白い雲といったいろんな雲があって、風が吹いていて、それらの雲が風に流されていて、、、

といった景色があったときに、

 

それらの雲が「思考・感情」であり、大空が「自分の本質・本当の自分」というわけであり。。。

 

いろんな雲が流れては消え、流れては消え、を繰り返しても、

ずっと変わらず揺るぎないものが大空、、、自分自身の本質。本当の自分。

瞑想を実践することで「それ」だけが残る。

 

実生活で言えば、

不安や怒り、悲しみ、緊張、劣等感などの負の感情はあくまでも流れゆく雲であり、自分自身ではないのであり、自分自身はあくまでもそれらの感情を引いた目線で観察している側であり、それらの負の感情はそのうち流れていくということを知っていて、それに気づいている。

だからそれらの負の感情に流されず、引っ張られず、気づき、冷静に、落ち着いて、しかるべき対処ができる。適切な行動がとれる。

そういう利点がある。

 

カフェラァテ自身、瞑想を実践している中でこの感覚はよく分かる。

そして、「自分は日頃マインドフルネス瞑想をやっているんだ」という意識が、日常生活の中のふとした場面、感情が揺れ動く場面で呼び起こされ、「冷静になろう。観察しよう。」という気持ちになっているような気もしている。

 

自分自身が雲になってどこかに流されそうになる瞬間に、ふと我に返って自分は大空であることを思い出して、雲を客観視し始める。

 

 

、、、ただ疑問なのは。

 

ポジティブな感情に対してはどうなんだってこと。

 

ポジティブな感情であっても巻き込まれないほうが良いのか。

巻き込まれ過ぎて浮かれ過ぎるのは良くないかもしれないが、

ある程度巻き込まれた方が幸せだって考え方もあるんじゃあないのか。

 

 

「根掘り葉掘り」ってよー、「根を掘る」ってのはわかる、スゲーよくわかる、根っこは土の中に埋まっとるからな。だが「葉掘り」って部分はどういうことだあー。

 

ってくらい自問自答するよね。

 

「ネガティブな時」はわかる、スゲーよくわかる、そりゃあそんな感情に流されたってイイことないからな。だが「ポジティブな時」ってのはどうなんだ。身を任せたら幸せだっつーのよー。

 

 

しかし、少なくともギアッチョばりにイラつきながら自問自答することはない。マインドフルネス瞑想を実践している限りはね。

 

とはいえ、やっぱりこの「大空になって観察する側である」という認識はとても大切だって話がもう一つあって、

 

ネガティブな感情や悩みにおいて、

その原因は出来事や状況ではなく、自分自身の考え方や解釈にあって、

その考え方や解釈をどうするかでネガティブがポジティブに変わるということがあり、

考え方や解釈を変えるためにもやはり大空として観察する側に立たなければならないとい、というか自分が大空であるということを知らなければならないということがある。

 

よくある例え話として、コップに水が半分入っているときに

「水が半分しかない」と考えるのか「水が半分もある」と考えるのか、

というものがある。

場合によるかもしれないけれど、多くの場合は「水が半分もある」と考えた方がポジティブな感情だと思うし、幸せになれると思う。

 

もしも初めに抱く考えが「水が半分しかない」というものであったとしても、

大空として観察する側であれば、その考えに気づき、「水が半分もある」に変えられるかもしれない。

だけど、自分自身が「考え」や「感情」になってしまっていては変えられない。

 

マインドフルネス瞑想を行えば、

自分自身と思考・感情を切り離し、思考・感情に巻き込まれにくくなる。

 

考えても仕方のないことをいつまでも考えなくなる。

考えても仕方がないってことに気づいているからこそ。

 

イライラに気づいて反応しなくなる。

イライラ雲を大空である自分が見つけて、気づいて、風で流しちゃうからね。

 

悪い考えが浮かんでも、考え方を切り替えることができる。

コップに水が半分入っているとき、半分「も」って思った方が幸せだって知ってるからこそ。

 

 


本書を読む前からマインドフルネス瞑想を実践し、なんとなくその効果を実感していたんだけど、本書によってその効果が本当なんだって、松坂大輔ばりに自信が確信に変わるというか、そんな結果になったんだよね。

 

そして何より、

本書にいろいろと呼吸・姿勢その他細かなことも書かれていたけれど、それらの事にこだわるよりもただひたすら呼吸を観察し、勝手に生じる思考に気づいたらまた呼吸に意識を向けるということにシンプルに注力したらよいってことも、松坂大輔ばりに確信したんだよね。

 

著者も難しく考えるなってことは述べられているけれども。実際には色々と書いてある。

そりゃあ一冊の本を作るんだから色々と書くよね。それらの情報はそれはそれで価値あるものだとも思うし。

知っているのと知らないのとでは違うよね。

自信が確信に変わってくる度合が違ってくるよね。

 

それでもやっぱり結論は至ってシンプル。

呼吸を観察→思考に気づく→呼吸の観察に戻る。

これだけで良いと思っている。

 

確信している。

イチローから3つの三振を奪ったような気分。

 

そしてもう一つ。

瞑想をすることに無理をしないということ。

 

時間がない。忙しい。めちゃくちゃ眠たい。

 

そんなときは当然ある。毎日頑張って働いている。生活している。

そんな時にも「瞑想しなきゃ」と思ってする必要はないんじゃあないかということ。

 

毎日3分でも良いとは書かれているんだけど、

本当に3分しかやれないときってのは、夜がめちゃくちゃ眠いってことが多い。

疲れ切ってすぐにでも寝たいけど、流石に風呂は入らないといけないし、歯も磨かなくちゃあいけない。歯磨きしながら眠りそうだ。

そんな時の3分瞑想ははっきり言って面倒だし、その3分ですら眠気との苦闘。てか完全に眠りに落ちる。

 

一時期そうやって無理やりやってはいたけれど、

それはとても辛い経験だった。何とも言えない苦しみ。

だから今はやっていない。

 

それでも今、今のやり方でも瞑想の効果は凄く実感している。

 

やれる時にやればいい。やれない時はやらなくていい。

3分ならやれる、そんな時は3分やればいい。

3分すらやれない、だったらやらなくていい。

 

出来るだけ毎日継続すべき。

 

それさえ知っていればいい。

それくらいの感覚で無理せず継続したらいい。

カフェラァテは思っている。

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!

 

 

 

 

転職・やめること・仕事の結果

いやはや、、、

 

久しぶりにブログを書く。。。

 

何してたか???

 

そりゃあジョジョ観てたに決まってるじゃあないか!

今は何周目かわかんない第5部観てんだよね!

第6部だってネトフリで観たさ!

スティール・ボール・ランだって読んでる途中さ!

 

そりゃあ忙しいったらありゃしないよって。

ブログ書く暇なんかありゃしないよって。

 

 

、、、まあそれはそれで本当ではあるんだけど、

なんで忙しかったかって言うと、

タイトルでネタバレしてるんだけども、

 

 

転職!

 

 

したからなんだよね。

転職したからっていうか、転職活動し始めたからと言うか。

 

本当は活動中にも活動中のことを書こうと思ってたんだけど、

やはり仕事をしながら転職活動してると本当に忙しくて、

転職先が決まってやっと落ち着くとか思ってたら業務のピークと引継ぎが重なって、

「やっと有給消化だ!!!!」

って思ったら短期間で最適な引っ越し先を探すための奇妙な冒険が続いて、

同時並行で新しい部屋に合う家具家電総取っ替えの奇妙な買い物が続いて、

引っ越し準備からの

引っ越しからの

部屋片付けからの

初出勤からの

慣れない仕事を覚え続ける試用期間社員の奇妙な毎日!!!

って感じでなかなか多忙だったんだよね。

 

思い返しても本当に奇妙な日々だった。。。

 

 

それでもまあ怠惰な自分がいたことも事実!!

引っ越し後に

 

新天地を知りたい!散策したい!

 

と休日には一日中歩き回っていたことも事実!!

 

なーんか上手くいかなくて、

辻彩ばりのため息をつくだけで時間が過ぎ去った日があることも事実!!

 

だけどそんな日々を過ごしながら、

今回の転職と、前職をやめたことについて何となく考えながら、

自分なりに自分を褒められるような気がしてきて、

それを整理しながら自分を褒めたい気持ちになってきたから、

このブログを書こうと思ったんだよね。

 

相変わらず前置きが長くなったなあ。

 

ヨシッ!!

 

それじゃあ早速ゥー!

 

 


まず、

辞めた理由とかは書かないつもり。

「転職」ってタイトルをつけた割りには転職活動の記録とかやり方とかも書かないつもり。

 

実際に辞めるってなった時、転職するってなった時にどう感じたか。

それを書きたいと思う。

 

辞めるという事を周りの仲間、社内外の関係者らに伝えた時、

 

この上なく主観でしかないのだけれど、

 

本気で惜しまれて、残念がってもらえた。

お世辞や社交辞令じゃなくて、本気で言ってくれていた。

だから、話している時に泣きそうになった。

仕事柄物理的にも距離が離れている人も多くて、

電話で伝えた人もいたけど、話している最中に泣きそうになったこともあった。

 

本気で真面目に仕事に取り組んできたからかなあと思った。

「衝突」とかはなかったけど、

本気で話してぶつかってきたからかなあと思った。

 

だからかな、逆に引き留められる気がしなかった。

風の強い時にションベンしたらズボンにかかるってことと同じくらい、確信めいたものがあった。

 

そして、、、

 

本当に引き留められなかった!!!笑

いや!それはそれで!!笑

 

 

「もう決めたんでしょ?」

だいたいの人に言われた。

 

 

「はい!」

「すげぇ爽やかな気分ですわ!新しいパンツを履いたばかりの、正月元旦の朝のようにね!」

「腹の底からざまみろ&スカッと爽やかな笑いが出てしょうがないですぜ!」

 

 

とまではもちろん言ってないけれど笑。

 

清々しい気分だということを本心から伝えた。

 

そしたら、みんな最後だからか分からないけど、とても嬉しいことをたくさん言ってくれた。

あんまり書くと自惚れ自慢野郎みたいになるから書かないけれども。

本当に、全く、自慢とかではなく、自分に自信を与えてくれた言葉たちだった。

 

「周りの人達は全然残念がってもなくて、引き留めたいとも思ってなかっただけなんじゃね?」という声も聞こえてきそうだが、それを否定する術は確かにない。

あくまでもその場の雰囲気を感じたカフェラァテ自身の感覚でしかないから。

それはそれで。

 

納得はすべてに優先するぜ!!

ってことでね。

 

 

そして何より。

 

入社からずーーーっっっと一緒に仕事してきた先輩がいた。

その先輩はとても出来る人だった。

完璧主義に近く、しかし抜くところは適度に抜いていてメリハリがあり、

自分はもちろんちゃんとやるけどその分人にも厳しく、

まあまあ口が悪くてきつい言い方をし、

他の人だったら流すようなことを『これどうするつもり?』『これどうやるの?』『なんでこうなの?』と鋭い針で突いてきて常に全く気が抜けず、

こっちも引けない時もあるから数日間もの凄く気まずい空気になることもあったけど、相談すると親身になって乗ってくれて、

本当に大変な時には一番力になってくれて、

カフェラァテのどうやっても頭打ちで成長しない苦手部分を一番理解してくれて助けてくれて、、、

 

最初は、、、若干最後まで、、、

厳しすぎて本当に嫌だなあ、離れたいなあと思う事もまあまあ多かったけど、

自分なりに咀嚼しながら本気で付いていって、

だからこそ仕事面でも人間的にも成長出来て、

 

つまり、カフェラァテを成長させてくれて、仕事の何たるかを教えてくれて、どこででも通じるような仕事の考え方や取り組み方を教えてくれて、だけど反面教師的な部分もちょっとあって、

 

つまり、今のカフェラァテがあるのはこの先輩のお陰という人がいて。

 

 

なんていうか、、、その、、、

その人に褒めてもらえたんだよね。

 

 

その人は褒める雰囲気を出す時はあるんだけれども明確に褒める言葉をあまり言わない人だったんだよね。

その人が最後に皆の前で明確に褒める言葉を使って褒めてくれて、

具体的なエピソードも出してくれた。

 

一緒に仕事をしていて、

ある時から認めてもらえているなと感じてはいたけれど、ここまで明確に言ってくれることは無かったから本当に嬉しかったんだよね。

 

そしてその人も言ったんだよね。

 

「びっくりしたよ。でも、もう決めたんでしょ。」

 

 

「はい!」

「すげぇ爽やかな気分ですわ!新しいパンツを履いたばかりの、正月元旦の朝のようにね!」

「腹の底からざまみろ&スカッと爽やかな笑いが出てしょうがないですぜ!」

 

 

 

、、、しつこい笑。

 

 

 

その後も事あるごとに社内社外の人間に

「カフェラァテを引き留めてよ笑」

って冗談っぽくもあり本気でもあるような感じで言っていて、

何か嬉しかった。

 

そこでタイトルにある「仕事の結果」

 

ここで言う結果とは、

勤めてきたことの結果。

退職する時に分かる結果。

 

薄っぺらいかもしれないけど、

ズッケーロのスタンド能力で作った船くらい薄っぺらいかもしれないけど、

 

実際自分の得意な仕事ではなかったけれど、

皆にそうやって言ってもらえて、思ってもらえたことが「仕事をやってきた」ことの「結果」だと思うし、

「お世話になった全員に直接話したい」「電話したい」と思えたことが、自分の中に積み上げられた結果であり、積み上げられた自信の証拠というか、賜物なのだと思う。

 

自分のやってきたこと、関わってきた人たちとの関係性に自信がないと、本気で皆に感謝を伝えたいとすら思えなかったんじゃあないだろうか。

 

色んな人と関わって、変な人も多かったけど、凄い人も多くて、それぞれの人たちのいろんな面に接して、それらのことも自分の成長に繋がったなあと思う。

 

そして、、、

新しい会社で働くことに対して全く不安を感じなかった。

 

、、、全くと言うと言い過ぎかもしれないけど。。。

 

新しい仕事はそれまでやっていた仕事と全く無関係ではないけれども、実務的には全く別の仕事であり、その点に関しては不安ゼロって訳じゃあないにしても、期待と言うか光明って感じを凄く感じていた。本当に。

 

これまでの仕事はやり切った。

これから何の仕事をするにしても自信をもってやればいい。

それだけのことをやってきた。

 

根拠がありそうでないようで実はあると思いたい、自信。

誇りと勇気!黄金の精神!

 

何であれ初めは慣れなくて、分からなくて、大変で、ミスしたり、時間が掛かったり、人からとやかく言われたり、嫌味を言われたり、腹が立ったり、悲しくなったりするかもしれないけど、、、というか絶対するし、

それでも全く自信を無くす必要はないし、てか自信を無くす気なんかさらさら無いし、「落ち着け。落ち着いて考えるんだ。ワシにはパニックと言う言葉はない」って思える。

 

それまでどんだけやってきたと思ってるんだ、って。

どんだけ困難に立ち向かって、打ち勝って、乗り越えて、切り抜けてきたと思ってるんだ、って。

 

仕事のベースは同じ。基本的なやり方、考え方、大事な核となるところ。

そのベースを強く、大きくしてきたんだ。

そしてそれを周りの人たちが心底認めてくれた。

認めてくれたから自信になったし、いやむしろ、認めてくれているという自信がそもそもあったから皆に直接辞めることを伝えたいって思えたのかもしれない。

 

それを武器に、カフェラァテはどこででも誰とでもやれる。

堂々と、何があってもやり抜ける。もっと成長できる。

 

だから、これから何があろうと、壁があろうと、何を言われようと、必ず切り抜ける。乗り越える。信念と自信がある。

生きてきた誇りがある。大切な人たちに支えられてきたという誇りがある。

そして今がある。

 

いやいや調子に乗り過ぎって思う自分も当然いる。

言い過ぎやろうと。キモイと。ガラじゃなさ過ぎだろうと。

でも、漠然と感じていた気持ちを言葉にするとこんな感じだし、

新しい職場で働き始めて幾分か経ち、既に壁を感じ、壁にぶつかっている気がする今でも思っている。

 

そう、

DIOとラッシュの速さ比べをしている時の承太郎の堂々とした姿で。

 

何かあれば反省はする。

でも引け目を感じることはない。精神的に負けたりはしない。

ダービー・ザ・ギャンブラーのようにはね。

物事に対しても。人に対しても。

自分の確固たる信念と自信と芯で突き進んで成長していく。

何があっても必ずできる。やり遂げる。誰が何と言おうと。

それだけのことをやってきたんだ。

 

人からどう思われるとか、何を言われるとか、そんなことは関係ない。

知ったこっちゃあない。

宇宙の果てを知らねぇように、そんなことは知らねぇ。

誰が何と言おうと俺は俺。

自分のやるべきことを淡々とやる。やり切る。

 

 

カフェラァテは学生時代の自分を低く見ている。劣等生だったと感じている。これまでずっと劣等感を感じていた。

 

周りの友達はみんな優秀で、

彼らは頭が良くて、要領が良くて、記憶力が良くて、

試験だってなんだって何だかんだ無難に切り抜けて、それでいてプライベートを充実させていて、

そんな彼らと一緒に過ごしていたけれど、内心「こいつらにはかなわないなぁ」とか思っていて、

要領が悪くて記憶力が悪いカフェラァテは、彼らのお陰で単位が取れて卒業できたようなもので、

その後社会に出て、時々人に褒められたり期待を掛けられたりしても、

「いやいや、あいつらに比べたら。。。あいつらがここにいたらあいつらを褒めてあいつらに期待するんだろうなあ」ってずっと思っていた。

 

そして今になって思うのは。

 

カフェラァテにとって、確かに勉学は苦手分野だったということ。

弱みだったということ。明らかに弱みだったということ。

そして、

人の力や助けを借りながらも、それを切り抜けてきたということ。

自分の力だけではなかったけれど、人の力や助けを借りるということも自分がやってきたんだと考えると、ある意味自分で切り抜けてきたということ。

 

そして、

苦手分野を切り抜けるのに人の力や助けを借りるのは社会人になってからもやっていて、それはそれで必要なことであって、劣等感を感じたり自己卑下するようなことではないということ。

 

そして、

これまで精一杯働いてきて思うのは、、、

 

ここからはめちゃくちゃ自己肯定感高めで自己陶酔感満載の最高潮調子乗り野郎みたいなこと書いていくことになると思うんだけど、、、

 

自分の強みは仕事をやる上での汎用的で基礎的なスキルにあるということ。

それらは汎用的で基礎的というだけあって特定の専門的知識やスキルではないけれど、とても適用範囲が広くて、すべての土台であって、人の信頼を勝ち取るのに必要であって、人間力や粘り強さや感受性や想像力や計画性や繊細さや大胆さなど、あらゆる側面が必要なもので、

周りを見渡しても多くの人が意外と疎かにする、あまり気にしていないように見受けられるものだということ。

 

仕事をやっていく上で、無意識にそれらが超重要なことだと認識していて、仕事に全身全霊全力投球してきた中で身につけられたということ。

 

周りを見渡しても、頭の良い人や知識が深い人、スキルが凄い人はいるけれども、それらを持ち合わせている人は意外と少ない。

 

まあ逆にカフェラァテは頭の良さや知識や凄い専門スキルを持ち合わせていないんだけれども。。。

 

時には人が1回で覚えてやれることに3回要するような不器用さもあるけれども、

3回やればその後は他の人よりも上手くやれるという自信を今では持っている。

これは場合によって善し悪しだけど。早く覚えられることに越したことはないよね。

 

先輩や周りの人々のお陰というのは当然理解しているけれども、

それらを糧に全力で取り組んできた自分自身の努力の賜物だと自負したい。

 

そしてそれらに気づけたとき、、、

 

「人間としての自信も持っていいんだ、、いや既に持っている!」

「『根拠のある自信』を既に持っている!」

 

と思えた。

 

常に心のどこかに劣等感を感じていて、

 

どうせ自分は、

結局自分は、

あいつらに比べたら、

みんなに比べたら、

 

と思っていた。

 

そんな想いは間違いなんだ。根拠を持って間違いと言える。

そう思えた。

 

一つ言っておくと、

カフェラァテは自信に根拠は必要ないと本当に思っている。

 

自分が自分であることだけで自信を持っていいし、持つべきだし、強いて言えばそれが根拠だし、もっと言えばそれ以上の根拠なんてないと思っている。

人は誰しも自分で意図せずこの世に生を受けて生きていくのだから、そらそうだろうとしか思えないんだよね。

常に堂々と生きていればいい。それだけでいい。

 

なのにずっと。

頭では分かっていても心がついてこなかった。

そして今、自分の弱みに気づけて、それを自分で切り抜けて、実は強みを磨いていて、それで結果を出していて、仕事面だけではなく人間としても実は自信を持っているのだと気づけた。

 

油断、慢心、調子に乗る、、、

なんてことはしない。

それがカフェラァテだし、カフェラァテの強みだと思っている。

 

 

とはいえ今後。

 

ミスすることも怒られることもあるだろうけど、それは仕方のないこと。

誰にだってあること。

反省はするけど、落ち込む必要はない。

自信をもって、成長の糧にすることだけを考えて、淡々とやって、次に進んでいけばいい。

仕事でもプライベートでもね。

 

 

本当の意味で自信が持てる。

張りぼてではなくて、虚勢でもなくて。

 

 

しんどかったけど、嫌なこともたくさんあったけど。

楽しいことは、、、そんなに、、、あったかな、?笑

前の仕事をやっていて本当に良かった。

皆と仕事ができて本当によかった。

 

ありがとう。

 

一回書いたけど、しつこいけどもう一度書く。

これからは、

何があろうと壁があろうと、人から何を言われようと、

必ず乗り越えられる。確固たる信念と自信がある。

 

これまでやってきた誇りがある。

これまで生きてきた誇りがある。

皆とやってきた誇りがある。

皆に支えられてきた誇りがある。敢えてこれも誇りと呼ぶ。

 

そして今がある。

 

思い上がりではない。

何かあれば反省はする。だけど精神的に負けたりはしない。

 

自分の確固たる信念と自信と芯で、立ち向かい、克服し、そして成長する。

必ずできる。乗り越えられる。それだけのことをやってきた。

誰が何と言おうと。

 

自分は自分。

 

人からどう思われるとか、何を言われるとか、関係ない。

 

周りは見る。空気も感じ取る。想像もする。相手の立場に立つ。相手の気持ちを推し量る。

 

その上で。

 

自分は自分。

 

これからも成長しよう。

 

黄金の精神を持って。

 

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!

フットブレインの影山優佳さんから学んだこと

2022年6月25日に放送された「フットブレイン」。

この放送に登場した日向坂46の影山優佳さんから感じ、学ぶことがあったので、

ここに簡単に書き記しておきたいと思う。

 

この放送回は、2021年に開幕した女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」を振り返るという内容だった。

そこにゲストとして登場したのが日向坂46の影山優佳さん。

 

影山優佳さんについては、日向坂46としての活動に関しては正直ほとんど知らない。

どういうキャラで、立ち位置で、ファンの人達からどう思われている人なのか。

 

しかし、カフェラァテは彼女のことを

「筋金入りの、本物の、真のサッカーファン」だと思っている。

 

サッカー番組に出始めた当初は、

若い女の子なのに凄いねえ』という扱われ方や接し方をされていた印象だったが、

今ではプロの解説者に引けを取らない、というかむしろ本気度や情熱では勝っているとすら言える存在となっているように感じられる。

 

もはや彼女がプロ解説者のような発言をしても誰も驚かず、

淀みなく受け入れられ、番組は進行される。

周囲も彼女を信頼し、彼女の意見には価値があると思われている。

やたらと凄いだのなんだの言われなくなり、

そういうものだと、それが当たり前のことなんだと認識されている。

 

当初は影山さん自身も慣れていない、緊張している感じもかなりあったが、

今では経験を積み、いい意味で慣れ、堂々としている。

 

影山さんの相当な努力や才能がある事は承知の上で、

単純に「凄いなあ」「人間は成長するもんなんだなあ」と思いながら、

カフェラァテはその放送回をぼーーーーーっと見ていた。

 

しかし、、、

 

 

放送中のとあるシーンで、カフェラァテには衝撃が走った。

 

 

あるテーマの途中で、影山さんが突然手を上げて手話をし始めた。

手話をしながら口でも話していたが、話の内容は忘れてしまった。。。

 

、、、話の内容はどうでも良いんだ。

いや、どうでも良いと言ってしまうと語弊があるが、

話の内容に衝撃を受けたわけではないんだ。

 

手を挙げて手話をし始めた。

それが台本通りなのか、その場のアドリブなのかは分からない。知る由もない。

アドリブだとして、影山さんの真の目的や意図は分からない。

 

そんなことは問題ではない。

 

手話をしている時、

影山さんは明らかに顔が赤くなっていた。

少なくとも、テレビの前でそのような行動をとる事に慣れていないようだった。

恥ずかしそうであり、勇気を出している様子が見て取れた。

 

しかし、やり切った。

手話が正しかったのかどうかはカフェラァテには当然分からなかったけど、やり切っていた。

 

そして、周囲の人も影山さんのその手話と話にしっかりと耳を傾け、受け入れ、認めていた。

 

カフェラァテは思った。

 

彼女はいつもそうやって、初めてのことに対して勇気を出し、やり通し、経験を積み、学び、成長し、周囲の環境や人々の自分への認識を変えていっているのだと。

 

思い返せば、内田篤人や大学生と一緒にサッカーをするのだって緊張するだろうに。

それを全力で楽しそうにやり切っている。凄いことだ。

 

 

ウィル・A・ツェペリは言った。

勇気とは怖さを知ること。恐怖を我が物とすること。

人間讃歌は勇気の讃歌。

人間の素晴らしさは勇気の素晴らしさ。

 

 

エンリコ・プッチは言った。

誇りと勇気。ジョースターの血統。

 

 

まるで徐倫を彷彿とさせるなあ、、、、

 

 

、、、、せっかく真面目に来ていたのに、ジョジョを絡めてついついふざけてしまう。

、、、悪い癖だ。

花京院がチェリーをついついレロレロしてしまうように、、、

いや、花京院にはレロレロが自分の癖だという自覚はなかった気が、、、

 

 

閑話休題

 

カフェラァテは思ったんだよね。

怖さを認めて、恥ずかしさを認めて、

勇気を出して、行動して、やり切って、前に進もう。

上手くやれようが、下手をここうが、別にいいだろう。

失敗しても、間違っても、別にいいだろう。

場数を踏んで、経験して、それで得られるものの方が大事だろう。

成長することの方が大事だろう。

 

 

影山さんはこの手話の経験を通して、きっとまた成長しているだろうな。

大げさかもしれないけど、彼女は人間の成長を映し出す鏡みたいにも感じる。

 

素晴らしいなあと思ったから。

ブログに残しておきたいなあと思ったんだ。

 

 

おわり。