カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

アウトプーットゥゥーーーッ!!

齋藤孝の速読塾 これで頭がグングンよくなる!(齋藤孝 著)<第二部>

(第一部はこちらから)

齋藤孝の速読塾 これで頭がグングンよくなる!(齋藤孝 著)<第一部> - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

 

第二部ゥゥーーーーッ!!

それじゃあ早速ゥー!

 

 

8.最後まで読まない本があっても全然かまわない


著者が一貫して主張しているのが、

「本は必ずしも最後まで読まなければならないものではない」

というもの。

カフェラァテはこれを「齋藤マインド」と呼んでいる。

この「齋藤マインド」という言葉は、<第一部>にも既に何度も登場している言葉。

「齋藤マインド」については、以前の記事を参照してほしいと思う。

大人のための読書の全技術(齋藤孝 著) - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

 

齋藤マインドはカフェラァテにとって非常に重要なマインド・考え方で、齋藤孝さんからの最大の学びと言っても過言ではないんだよね。

読書に限らず、仕事面、生活面、その他人生全般において適用させるべきマインドなんだよね。

何事も型にはめてかっちりやらないと気が済まず、それなのになかなかやれないもんだから、落ち込んだりストレスが溜まったりする私。

自分の殻を破る大事な考え方。それが「齋藤マインド」。

 

齋藤孝さんの実際の性格を知っている訳でもないし、

もしかしたら読書以外の私生活面・仕事面では非常に几帳面で四角四面な方っていう可能性もある。

だけど、この「齋藤マインド」はいい意味で非常に大雑把、こだわらないマインドだと思っている。

読書に限らず全面的に取り入れたいマインドで、事あるごとに「齋藤マインド齋藤マインド」と唱えているんだよね。

 

そう、プッチ神父素数を数えるように、、、

 

齋藤さん曰く、

「今読んでいる本が1冊しかない状態なのはリスク」

とのこと。

どんなリスクかって言うと、

「途中でその本に挫折してしまったとき、スペアがないじゃあないか」

ということ。

 

まあ、

挫折したら挫折したで、その時に違う本を手に取れば良いような気もするけれど、もしかしたら読書そのものが嫌になったり面倒になったりで、他の本をしばらくは手に取らない可能性だって確かにあるよねえ。

 

齋藤孝さんは、「普段から10冊くらい同時並行で読んでいれば、そのうち何冊かは読み終わるでしょ」って感覚なんだとか。

お風呂でkindle1冊、その他の場所で紙で1冊、とかって感じで同時に2冊とか読むことはあったけど、この発想はなかったんだよねえ。

しかも「どれかは最後まで辿り着くだろう」みたいな、いい感じで肩の力が抜けた姿勢。

まるで、割れた瓶の破片を拾い集めるアバッキオの元同僚警官の言葉だよ。

 

 

齋藤さんは買った本の半分くらいをあまり読まずに終えてしまうそうで、

10冊読んでいれば5冊は読める、くらいの感覚だとか。

 

  • 『読み切ることにこだわらなければ10冊でも負担にはならない』
  • 『読みかけでも「読んだ」という事にしてしまえば良い』
  • 『そんなスタンスでどんどん数をこなしていった方が、1冊を丁寧に読み終わるより理解が高まる』

 

珠玉の名言だらけよ。

カフェラァテにとってはね。

 

それに何度何度も言うけどさ、読書に限ったことじゃあないよね。

 

仕事もそう。

もちろん丁寧に仕上げなければならない仕事の類もあるけれど、悩み過ぎて手を止めるよりは、細かいことは気にせずどんどん進めた方が良い仕事もある。

そうした方がいろんな角度からたくさんのフィードバックを得られて、結果的により成長出来て、次の仕事をよりクオリティ高くこなせるってことがあるよね。

 

1つにこだわる、やり方にこだわる、、、で動けない、動かない。

 

よりも、

とにかく動いて数をこなす。場数を踏む。

 

そして、その後のアウトプットも齋藤マインドが大事だよね。

 

「10冊も同時に読んで、しかも読みかけ有りとか、アウトプットどうするんだ!!??」的な発想もあったけど、

それは典型的な

カフェラァテマインド」!

「捨て去るべきカフェラァテマインド」!

 

やりたいアウトプットからどんどんやればいいんだよ。

出来るアウトプットからどんどんやればいいんだよ。

全部やらなくてもいいんだよ。

出来ないものがあってもいいんだよ。

 

齋藤マインド、齋藤マインド、齋藤マインド。

 

、、、プッチ神父素数を数えるようにね、、、

 

 

9.細かいことにこだわらない「左手めくり」


これも「齋藤マインド」の話。

齋藤さんが書いた本だから、そりゃあ齋藤マインドがめっちゃ出てくるわけよ。

 

「大雑把でもいいからとりあえず最後まで行ってみよう」というやり方。

「最後まで見ておけば、何となくでも全体が把握できる」という考え方。

 

ちなみに「左手めくり」とは何かというと、

  • 左手に本を持ち、親指をずらしてパラパラとページを離しながら読む
  • 右手でボールペンを持ち、キーワードなどにチェックを入れる

という、至ってシンプルな文字通りの方法。

 

いやでもね、左手だけで最後までめくっていくんだよ。右手は使っちゃだめだよ。

ページとページの境目がめちゃくちゃ読みにくいけど、右手は使っちゃ駄目なんだよ。

、、、という禁止事項は特には書かれてはいないんだけど、左手めくりっていうくらいだから右手は使わないんだろう。

案外難しい。

 

とはいえ、

ここで大事なのも、その方法と言うよりも「マインド」だと認識しているんだよね。

 

  • 『「本を速く読めない、たくさん読めない」という人の中には、細かいところにこだわってそこで止まる「マニアックな人」がいる』
  • 『試験問題でも同じで、1問目で引っ掛かり、後半の大問題を白紙にする人』
  • 『とりあえず最後まで見て、出来そうな問題からやって点を取るのが試験のセオリー』

 

わたしゃあマンガでも「ドドドド」とか「ドグシャア」とか、腕の角度とか姿勢とかが気になって読むのが遅い「マニアックな人」なので、

マジに自分のことをズバズバと言われている気がして気持ちよかったよねえ。

 

  • 分からないところがあっても仕方がない。
  • 出来ないことがあっても仕方がない。
  • 駄目なところがあっても仕方がない。
  • 飛ばしちゃっても仕方がない。
  • だるくなっても仕方がない。
  • 諦めちゃっても仕方がない。
  • やめちゃっても仕方がない。
  • それでも割り切って前に進む。物事を進める。切り開いていく。

 

どんどんたくさん本を読んでいこう!!

 

 

10.速音読


文章が頭に入ってこないときに著者がやっているのが「速音読」というもので、

「自分の口の限界まで速いスピードで音読する」

というやり方。

書くとそのままだね。

 

脳が高速回転して、黙読するより速く読めるという事らしい。

人に聞かせるわけではなく、自分で分かれば良いと割り切ることが大事なんだと。

 

この方法の利点は

  • 大きな単位で読めて、大づかみに全体を見る力が付く。意味が分からないところ、細かいところは気にならなくなる。
  • 目は文字を追い、口は音読をし、耳はその音を聞き、頭で意味を理解する。脳の色んな領域を同時利用しながらも、見ているところ・読んでいるところ・意味の理解のそれぞれのタイミングがずれている為、脳がフル回転・活性化し、理解力が向上する。
  • 速く読もうとする為、文章の先の方まで目を配ることになり「アイスパン(目の届く範囲)」が広がる。

 

これはまさに齋藤マインドを応用・発展させた具体的方法だよね。

著者は「音読」の重要性・意義をことあるごとに強調している。

 

つまり、この「速音読」は齋藤孝読書法の「極意」「奥義」

カフェラァテはそう理解したね。

 

煉獄杏寿郎で言うところの「玖ノ型・煉獄」

カフェラァテはそう理解したね。

 

煉獄杏寿郎は猗窩座との戦いで1回しか使わなかったけど、

この「速音読」は何回でも使っていいんだよ。

出し惜しみするなってことだよね。

 

急に鬼滅。。。

 

 

なんであの奥義煉獄は1回しか使えなかったのかなぁとか度々思うんだよねえ。

あと2、3回使ってたらどうなってたのかなあ、とか。

まあでも猗窩座強いし、

義勇と炭治郎のコンビでも苦戦したから厳しかったろうなぁ、とか。

 

 

11.水道橋博士の解説


この本の解説はタレントの水道橋博士さんが書かれている。

この解説の内容が印象的だった。

 

それは映画監督:北野武ビートたけし)氏のエピソード。

 

ある時、北野武氏がアカデミー賞受賞作品「ダンス・ウィズ・ウルブズ」という映画をビデオ鑑賞していた(ちなみにカフェラァテはこの映画を観たことはないです)。

水道橋博士氏は、北野氏のその視聴方法に衝撃を受けたという。

 

それは「リモコン片手に7倍速再生」という方法。

大自然の中を何千頭というバッファローが超高速で走り抜けるシーンが映し出されていたという。

そして後日、北野氏のその映画についての的確な評論文(「的確」というのはあくまでも水道橋博士氏の感想)がメディアに掲載されていたという。

 

水道橋博士氏はこのことについて、下記のような感想を述べられている。

  • 映画という概念やアカデミー賞受賞作品に対しても、自分を卑下せず、自分の感性ややり方を優先する姿勢に驚いた。
  • 1秒1秒しっかり鑑賞すること(読書で言うところの「精読」)にとらわれず、倍速(しかも7倍速。傍から見れば流し見。読書で言えば二割読書などの速読。)でも構わない。7倍速鑑賞でも、知識の獲得や価値判断の為の立派な手段である。

 

そう。繰り返す。例のあれを。

 

齋藤マインド。

 

齋藤マインドはどこででも発揮される。

世界の北野も齋藤マインドを持ち、発揮している。

 

齋藤氏の読書術の神髄。

目的を明確にし、それに適した読書方法を迷いなく躊躇なく大胆に実行する。

 

それを映画で実行していたのが北野武氏。

北野氏も毎回このような鑑賞方法をとっているわけではないだろうし、通常速度で1秒1秒を丁寧に観ることもあるだろう。

 

しかし。

 

本の読み方に決まりは無い、ということ。

映画の観方に決まりは無い、ということ。

 

固定観念でがんじがらめになって「動かない」「何もやらない」よりは、

「たくさん行動して場数を踏んだ方が良い」ということ。

 

そしてそれは読書や映画鑑賞に限った話ではないということ。

人生のあらゆる場面で言えるということ。

 

頭では何となくわかっていたような気もしていた。

成功し、実績を残している人達は、たくさんの行動やチャレンジをしているのだろうということも思っていた。

 

だけど「たくさん行動するってどういうことだ?」ってよく分からなかった。

 

本を読むのだって遅くてたくさん読めなかった。

 

「ちゃんとやらなきゃいけない」って自分で勝手に決めていたんだよね。

そして自分が思っていた「ちゃんと」が、実は「ちゃんと」じゃなかったんだよね。

目的に合った方法こそが「ちゃんと」であって、目的に合ってなかったらいくら丁寧にやったって「ちゃんと」とは言えないんだよね。

 

望む結果や成長を得る為には、まずは適した方法を見極めて実行することが何よりも大事なんだよね。

 

読書、そして映画鑑賞という意外な切り口から、しかも偉大な実績や功績を残している人達のとても具体的な実例から、図らずも人生の大事なことを学べたよね。

 

この本にして、この解説。

見事に本書の神髄を見極めた上で、北野武と言う偉大な人物を例にとった本書を象徴するようなエピソード。

 

 

さすが「本書の二割しか読んでない」だけのことはあるよね。

水道橋博士さん。

 

 


読書術を学ぶためにこの本を読んだけど、具体的な読書方法はもちろんのこと、

この本を読んで一番良かったのは、

「本の読み方の固定観念をぶち壊してもらえた」こと。

そして、

「生きていく上での固定観念をぶち壊してもらえた」こと。

 

何度も言うけど「齋藤マインド」

これを感じ取れたことこそが今回の最大の学び。

 

これまで何冊か読書術に関する本を読んできたけど、

読書術のインプットはこれにて一旦終了。

これからは、自分なりの読書術を確立させ、実践し、磨いていく。

たくさん読んで、たくさん書いて、たくさん学んで、たくさん成長したいよね。

 

『怖いのは「一言一句読まないこと」?怖いのは「一言一句読むこと」にこだわるあまり、たくさん読めず、経験できず、学べず、成長できず、人生を楽しめないことでしょ?』

 

ポコのお姉さんの言葉を真似して締めるよね。

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!