カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

アウトプーットゥゥーーーッ!!

映画【イエスマン “YES”は人生のパスワード】(※ネタバレあり)

2023年の始まり。

新年1発目のブログ記事にふさわしい映画。

 

カフェラァテは今年の目標とか抱負とかあんまり考えないタイプで、

日々の継続と軌道修正が大事だって思っているタイプだけど、

人生を良い方向に変化させていきたいっていうのは常に思っていて、

この映画は自分の行動の変化を促してくれる素晴らしい映画だと思ったんだよね。

 

観るだけじゃあ何も変わらないし、

最後は自分が行動に移すか移さないかが一番大事ではあるんだけど。

 

だけど、

何事も「きっかけ」は必要なわけで。

 

そして、

その「きっかけ」は「感情が動かされる」ってことがかなり大きいわけで。

 

この映画はその「きっかけ」になる映画だと思ったんだよね。

 

最初に言っておくと、

この映画は素晴らしい映画で感情が動かされた映画だったとはいえ、全てを真似するのは難しい。

そんな極端な映画だったけれども、

  • やったことのないこと
  • 新しいチャレンジ
  • イレギュラーなこと

に躊躇しがちなカフェラァテにとっては、

少し取り入れるだけでもポジティブな変化をもたらしてくれそうだと感じたんだよね。

 

というわけで前置きはほどほどにして。

 

それじゃあ早速ゥー!

 


まず初めに。

イエスマン」になる前のカールを観て、

まるでカフェラァテにそっくりだと感じたんだよね。

 

まるで自分自身を観ているようで、良くも悪くも感情移入できたというか。

 

人付き合いもそんなに得意ではないし、大人数でワイワイするのも得意ではない。

家で一人で本を読んだり、映画を観たりする方が好きだし、

出来るだけ生活のリズムを崩したくないとも考えている。

なんだかんだルーティーンも多い。

 

イエスマンになる前のカールの描写は実はそこまで多くはないけれど、

一を聞いて十を知るじゃあないけど、

 

『あぁ、そっくりだ・・・』

 

と、真っ先に思ったんだよね。。。

 

『あぁ、傍から見たらこんな感じなんだなぁ』と。。。

 

まあ何となく他の人からの見られ方ってのは想像も出来るから、

ある程度は自分の思いに反して人に合わせた行動とかもしていて、

そこまで極端な見られ方もしていないとは自分としては思ってはいるんだけど、

 

だけど、

ある程度は自分の思い通りに行動してる面もあるから、

ある程度はこんな感じで見られているんだなぁと。。。

 

まあ別にそれが悪いというわけではないんだけれどね。。。

 

だけど確かに自分の可能性を狭めてもいるんだなあと。

客観的にカールを見てそれを感じたんだよね。

 

人と比べてどうとか、人からどう思われるとかってことよりも、

 

『その行動は本当に自分の為になる行動なのか』っていうこと。

 

だから、全部が全部今の自分を変える必要はないけれど、

変えた方が良い部分も確実にある。

 

「コンフォートゾーンを出る」

ってことだね。

 

人から良く思われるってのはそんな難しいことじゃあないんだ。

最も難しいことは『自分を乗り越えること』さ。

 

 

話をカールに戻すと、

「ホームレスを車に乗せる」という最初の「イエス」が全てを変えた。

その「イエス」によってかなり極端な出来事が起きたんだけど、そこは映画。

現実世界ではそんなに極端なことは起こらないとしても、

現実世界であったとしても「ノー」を言うよりは何かが起こる。

 

それが「イエス」。

それが大事。

 

いや、そのイエスの前に実は「イエスセミナーに参加する」というイエスから始まったとも言える。

まあこれも現実にあればかなり怪しいセミナーとしか言えないけど、まずは行動するってことが大事。

参加するってことが大事。

 

まずは参加する。参加してから判断する。

リスクはあるからしっかりと自分を持たないといけないけど。

 

行動するための『イエス』。

『イエス』と言った結果の行動。

 

「ノー」と言った結果の行動、ってのもあるとは思うんだけど、

そこはあくまでも「イエス」で行動することが大事だと考える。

「ノー」からの行動は予想外の出来事を起こさない。想像通り。予定通り。

予定外の出来事が自分を知らない場所へ連れて行ってくれる。

「イエス」こそが何かをもたらす。

 

そして、そこで出会ったアリソン。

彼女は「イエスセミナー」に参加してはいなかったけど、

初めてカールと出会った時の彼女の行動は「イエス」そのもの。

エスを全身で表現していた。

 

もしかしてアリソンも実はあの「イエスセミナー」に参加していたのかも、、、

 

っていうことはないはずってのは、

カールと喧嘩したときのアリソンの言動から判断できるね。

これで実はアリソンもあのセミナーに、、、

とかって話なら、何かまた深みがあるような無いような。。。

 

 

このイエスの経験から、

カールはこの後あらゆることにイエスで対応していって人生を好転させていくんだけれども、

現実世界に目を向けると、さすがに映画みたいに何にでもイエス回答は難しいよね。

 

仕事だったらいわゆる本当の「イエスマン」になっちゃうし、

まあそれが仕事や人生にプラスになる事もあるかもしれないけれど、

仕事なんてイエスという場面だらけだし、

もっと具体的に言うとマジであらゆる仕事が降ってくる。

帰れなくなるし、休めなくなる。

そこは程度問題だとは思うけど、イエスを言うかどうかはしっかりと考えないといけない。

仕事をよりポジティブに捉えていて、

仕事に対する向上心がより強い人にとってはまた別の話だとは思うけど、、、

 

そこはカフェラァテの想像を超えた話として、今は考えないことにするよね。

 

人はみんな、明日は月曜日ってのは嫌なものなんだ。

でも必ず、楽しい土曜日がやって来るって思って生きている。

いつも月曜日ってわけじゃあないのよ。

 

カフェラァテもこのタイプの人だね。。。

 

 

ただし、

 

「迷ったらイエス

 

でもいいのかも、とは思ったんだよね。

 

 

エスが自分の想像出来ない未来をもたらすってのは、

それはそれで本当だと思うし、それは仕事においてもその通りだと思うから。

 

 

 

そして私生活面。プライベート。

 

考えてみると私生活において「イエス」を言う場面ってのは、

実は意外とそこまで多くないんじゃあないの?って思ったんだよね。

 

特に社会人になって、

仕事以外のプライベートの時間や、

友達とつるんでっていう時間そのものがすごく減っているって思ったんだよね。

 

つまり、、、

 

そもそもプライベートで人とあまり会話をしていないんじゃあないか!!

 

スタンドも月までブッ飛ぶこの衝撃・・・!!

 

落ち着け。落ち着いて考えるんだ。

カフェラァテにはネガティブという言葉はない・・・

 

 

つまり、、、

 

プライベートこそチャンス!

イエスマンになるチャンス!

何にでもイエスで回答しよう!

何にでもイエスで行動しよう!

 

 

ここで冷静になって。

 

これについてもカールの親友ピートや、

エス集団の教祖みたいなテレンスが警鐘を鳴らしていたね。

 

ピート

『物事をよく検討・熟考して、結論を出すべき』

 

テレンス

『何にでもノーというカールの体を慣らす必要があった。「イエス」は劇薬!本質は何にでも「イエス」と言うのではない。義務からではなく、心の底からイエスを言えるようになる。』

 

 

、、、何だかんだ、、、プライベートだって、、、

全部にイエスを言うのはやっぱキツくないっすかね、、、

 

って正直思ったカフェラァテにとっては救いの言葉。

映画の内容としても、極端過ぎるところからバランスをとる意味合いのあるセリフなのかもしれない。

 

そんなセリフに救われた気持ちになりながらも、

「今更これ言う?」

「極端に突き抜けたままの方が良かったかも、、、」

 

って思ったのも事実ではある。。。

 

 

それはそうとして。

そこから考えたことは。

 

カフェラァテはカールに似てるって言ったって、

カールみたいに全てにイエスを言う程の覚悟はない。

だからと言ってそれで終わったら成長は無い。

 

だとすると、、、

 

単に「面倒くさいから」とかではなく。

単に「恥ずかしいから」とかではなく。

 

「人生に変化をもたらす答えは何か」

「人生を豊かにする答えは何か」

「本当はイエスと言いたいのではないか」

「これは自分を前進させてくれる選択か」

をよく考えて選んでいくことが大事だということ。

 

 

そして。

 

「面倒だと思ったらイエス!」

「恥ずかしいと思ったらイエス!」

「どっちか分からないならイエス!」

「迷ったらイエス!」

 

でいいんじゃあないの?

そんな精神でいいんじゃあないの?

 

そして。

 

必ずしもイエスだけが良く、ノーが悪いというわけではない、

ということも同時に認識しておくこと。

 

カールをセミナーに誘った友達。

彼は石を投げてビルの窓ガラスを割ったけど、そのイエスはさすがにダメなやつじゃあないの?犯罪じゃあないの?

 

まあ映画だからね。相変わらず極端。

 

 

結局は自分自身が一番よく分かっているはず。

 

「ノーマン」で「保守的」な自分。

まずはそれを認めて受け入れること。

 

世の中・・・自分というものをよく知るやつが勝つんだ。

全ては、己の弱さを認めた時に始まる!

 

 

カールはイエスの行動でアリソンと「分かち合えるもの」を手に入れることが出来た。

 

カールは

「面倒くさがって『ノー』を言い続けることは本当は良くない」

「それじゃあ分かち合えるものを手に入れられない」

と自覚していたんじゃあないだろうか。

 

家で一人で映画を観ながら死んでるところをピート達に発見されるっていう夢も見てたしね、

無意識が夢に現れたってことだろうね。

 

それに、

カフェラァテとカールは似てるから、分かる。

よーく、分かる。

 

 

だから思う。

 

これまで言ってきた「ノー」は、

実は「本心のノー」ではなかったんじゃあないだろうか。

 

本当は「イエス」と言いたかった「ノー」も、

たくさんあったんじゃあないだろうか。

 

面倒くさい、恥ずかしい、自分はこんな人間だから、自分のガラじゃあない、自分はそういうタイプじゃあない、自分はそういうキャラじゃあない、他の人は自分をそうはみていない、、、、

 

本当はやりたいけど。

本当はやってみたいけど。

 

「ノー」を言う理由は様々だけど、

本当はどうしたい?

本当はどう在りたい?

本当はどうなりたい?

本当はどういう人間になりたい?

他の人は関係ある?

他の人は自分をより良くしてくれる?

他の人は本当に自分のことをそう思ってる?

他の人はそんな風に自分を見てる?

他の人のことを自分で勝手に決めつけてない?

 

素直にイエスが表現できるアリソンだからこそ、カールは惹かれたのかもしれない。

 

いやまあ普通にアリソンは可愛いんだけどね。。。

 

そのアリソンも『私にも恐いものはある』と言っていた。

本当はアリソンも、人生を良くするために頑張っていたんだろう。

人生をより良くするために、行動で切り開いていたんだろう。

 

 

『いいの、楽しければそれで。』

『世界は遊び場。皆最初は知ってるのに、大人になる途中で忘れてしまうの。』

 

 

アリソンのそんな言葉を体現するもの。

それが「イエス」なのかもしれない。

 

結局、

「楽しい」「気持ちいい」「心地よい」と思える時間が多ければ多いほど、

幸せなんじゃあないのかな。

お金とか見栄とか誰かにどう思われるとかじゃあなく。

 

「ノー」で得られるそれらのものより、

「イエス」で得られるそれらのものの方が大きくて尊いことが多いってことも、

自分で分かってるんじゃあないのかな。

 

少なくとも「ノーマン」のカフェラァテはそう思う。

 

 

 

最後に話は逸れて、、、

 

 

カールの口説きテク、コミュ力、頭の回転よ。。。

 

アリソンの元カレ話に対して。

「共感」からの絶妙な切り返し。

 

『そんなに長い話なら先に言って欲しかった!笑』

『次は切るとこ切って!笑』

 

ポテンシャルめちゃ高いっすやん!!!

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!