カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

アウトプーットゥゥーーーッ!!

星の王子ニューヨークへ行く2 (※ネタバレあり)

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映画【星の王子ニューヨークへ行く】(※ネタバレあり) - カフェラァテ・カプチノの奇妙なアウトプット

 

この映画の続編があったということでとりあえず鑑賞。

 

前作にめちゃめちゃ惹かれたのかというとそういう訳でもなかったんだけれど、

前作の内容を覚えているうちに、せっかくだし観てみようということで。

 

前作は、いかにも昔ながらのコメディ映画って印象を受けたんだけど、それでも学べることもあったし、今作も同じように何か吸収できるものがあるんじゃあないかという期待を持ちつつ。

前作の経験から、コメディとしてのツボにはそこまで期待はせずに。。。

 

前作から30年以上経過してからの続編!

 

それじゃあ早速ゥー!

 


作中では

「国のトップ=男」という考え方や「黒人と白人」の構図が露骨に描かれていたんだよね。

問題提起なのか、

それともアメリカの生活の中ではありふれ過ぎているから描くこと自体が別に普通なのか、

アメリカに行ったこともないし映画読解力にも乏しいカフェラァテには分からなかったけれども、

極一般的な日本人であるカフェラァテにはド頭から気になった点ではあり、

最後まで解消されなかった疑問ではあるけれど、

映画としてはそれらの点についてはそこまで重要事項でもないという感じだったね。

そこは大きな問題ではないって感じ。

 

んなこたア今は問題じゃあねーだろ康一!!

 

 

そして設定も登場人物も出演者も前作から引き継がれていたね。

セミーも前作ほど反抗的ではないものの、自分の欲望に素直で調子乗り、だけどアキームの味方でありよき理解者であるという点には変わりない。

いいね。

 

「アキームに婚外子がいる」という事実を超非科学的な方法で知り、それを皆で信じ込むというのもご愛嬌で、そしてそれは全てセミーのせいというのもまたこの映画の魅力って感じで良きだね。

続編の為の無理やり設定感はありありだけど、

主人公が子に移るってのはジョジョっぽくていいんじゃあないの?

 

、、、違うか!?

 

いや違わん!

ジョセフやん!!めっちゃジョセフやん!!

アキームがジョセフで、子であるラベルが仗助やん!

 

、、、違うか!?

 

 

その設定のせいであの誇り高きアキームの株が一瞬下がったけれど、

それもセミーのせいということで。

 

やはり星の王子シリーズにはセミーの存在は不可欠ってことだね。

 

そしてリサ。

あっさり納得。出会う前だったから仕方ないと。

まあ突き詰めればそうなんだけど。

大人と言うのかなんというのか、理解があり過ぎるというのか。

そこで揉める展開は不要だったということだろうね。普通は大揉めだろうと。

リサは前作の王妃(アキームの母親)のように、

子どもの気持ちを理解し、尊重できる、しきたりに囚われない人物となっていたね。

 

アキーム。

前作の国王(アキームの父親)のようなしきたり主義で個人の自由を尊重しない大人になっていた。やはり人は変わる。変わってしまう。人格・性格は環境に依存する。

何回も言うけど、

ジョルノ、あのギャングに出会って本当に良かったね。

ウンガロとかまあまあ好かんよ、カフェラァテは。

とにかく環境は、気を付けなければ自分の良さすらいつの間にか消してしまう。

ただ、悪い方にも変わるけど、良い方にも変われるんだよね。

 

ラベルについて。

本作の主人公。

芯が強い、頭の回転が速い、信念を持ち、勇気がある。

他人に媚びず、自分の軸をぶらさない。

若かりし頃のアキームのようで、さすが息子という性格。

ライオンとの戦いで檻にキャットフードを塗ったのは名案で、且つ実行力と度胸がある。あんなに上手くいくかどうかはおいといて。

いやあ、ラベルはなんかジョースターの血統っぽいんだよねえ

特にジョセフ・ジョースター

、、、ラベルは仗助じゃなかったっけ?父であるアキームがジョセフで、、、

いやでも父親に似てるってだけだから別におかしなことでもなくて、、、

ていうかジョセフだけじゃあなくて仗助だってこんな戦いを繰り広げてもおかしくはないよなとか思ったり、、、

ていうかジョセフ仗助に限らずジョースターの血統だったら誰でも、、、

、、、星の王子ってジョジョなの?

 

長女ミカ。

これまでずっとアキームの後継者になる為に頑張っていたのだから、急に出て来たラベルや、ラベルを後継者にしようとするアキームに対してもっと反発するのが普通では?とも思ったけれど、

そこはやはりしきたりへの諦めというか、受け入れというか、心の広さというか、覚悟というか、

そして最後にはラベルの勇気と覚悟、人間性を認めた形になったというべきだろうか。

自分の想いよりも国にとってベストな選択は何かを優先した、というのが一番しっくりくる。

ラベルにとても協力的になったし、ミカは真の人格者と言えるね。

客観的視点、俯瞰、自分のこだわりや想いを必ずしも優先させない器の大きさ、

これだね。これが一番しっくりくるね。きっとこれだね。

仗助的立場でありながらジョセフのようなラベルもかっこいいと思ったけれど、

この映画で最も学ぶべきはこのミカなのかもしれないと思ったんだよね。

ちなみに流れから言ってミカはホリィってことでOK、、、?

、、、これは違うか、、、

 

アキームの成長。

アキームが固定観念を捨てて考え方を柔軟にしたからこそ、全員が同じ方向を向いて一番良い着地をすることが出来た。

意地を張らず、自分の非を素直に認めたからこそ。

 

やはり前作のアキームがそこに居たって感じだったね。

リサの父マクダウェルを通じ、亡くなった前王妃が最後のひと押しにもなった。

人は変われる。悪い方向にも、良い方向にも。

良い人が悪くもなるし、悪い人が良くもなる。

ジョルノウンガロにだってなり得たんだぜ。

 

そしてラベルの家族。

自分達に誇りを持ち、お互いを本当に大切に想っていた。

経済的には裕福ではなかったのかもしれないけれど、精神的に強く、幸福だったように感じた。

そうやって幸せを感じられることが、生きる上では結局何よりも大切なことなんじゃあないだろうか。

 

この映画を観て感じたこと。

まずは前作でも感じたことだけれど、

自分の信念・芯・軸・想いを大切にする。

自分を曲げず、ブレず、他人に媚びない。

自分に誇りを持つ。自分を信じる。

金持ちだとか、スペックだとか、

それらは何かの根拠になるのかもしれないけれど最強ではない。

お金だとか社会的地位だとか、

無いよりはいいのかもしれないけれど、そんなものは揺らぐ。

無くなったら怖いと不安になる。

自分が積み上げてきた実績や地位があったとしても、

自分ではなく実績を見てほしいと思っている、

自分ではなく築いた地位を見てほしいと思っている。

それらを他人が見て、認めてくれるからこそ安心する。

自分の本質はそっちのけで、

安心する為に他人に媚びているという事にならないだろうか。

人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる

すべて自分を安心させるためだ
安心を求める事こそ人間の目的だ

実績や地位が無くなったらどうなるだろうか。

実績や地位に囚われていたら、それらが無くなった時の自分を自分でどう思うだろうか。

DIOが言うように安心を求めるのが人間だとしても、

それって本当の安心なのだろうか。

 

別にカフェラァテにお金や地位や名声や実績がないから言っている訳じゃあないよ、、、

妬んでいる訳じゃあないよ、、、

 

誰にでも誇りや自信の根拠はあるって思うんだよね。

唯一無二の根拠。最強の根拠。

 

それは

『自分が自分であるということ』

 

実績や地位があったとしても、

実績や地位そのものではなく、それらは『自分が』作ってきたのだということを精神が理解していること。

実績や地位を築けていないとしても、

それらはあくまでも『自分が』やってきたことの結果でしかなく、副産物でしかなく、

やってきた『自分』にこそ価値があり、

『自分であること』を超えるものではないということを精神が理解していること。

 

価値のあるものは、精神の成長なんだ

 

誰しもが自分の意図とは無関係にこの世に生を受ける。

その時点で平等であり、上も下もなく、

何一つ否定されることなどなく、

自分であることに一点の曇りもなく自信を持っていい。誇りを持っていい。

 

そしてそれは、成長して大人になって歳をとっていく過程でも何も変わらない。

他人との比較なんて関係ない。意味がない。

DIO吉良吉影のどっちが強い

とか比べるくらいに意味がない。尺度が違うとかの問題ですらない。

エンヤ婆と山岸由香子のどっちが口が悪い

とか比べるくらいに意味がない。

 

深く根差しているとかそんなものではなく、

強い風が吹いたら飛んでいくとかそんなものでもなく、

時間が経ったら削れていくとか薄れていくとかそんなものでもない。

自分そのもの。自分であること。

それそのものが誇りであり自信。

自分がいれば同時にそこに存在するもの。

それが誇りであり自信。

根拠=自分。

 

ラベルやその家族を見て思った。

お金や地位ではない、本当に大切なもの。

 

、、、あの映画にそこまでのメッセージが込められているのかってことについて深くは考えないようにするけどね、、、

 

また、自分に非があると思ったら意地を張らずに素直に認めること、謝ること、そして次の行動に速やかに移ることの大切さ。

ラベルの気持ちを受け入れたアキーム。

美容師の言葉を受け入れてアキームの謝罪を受け入れたラベル。

あとは、自分に非がなかったとしても、何が一番大切かを客観的に考えることが出来て、覚悟を持って冷静に選択できる強さを持った長女ミカ。

 

いずれにしても、

変に意地を張って認めない方がかっこ悪いし、みんなの気持ちも離れていく。

 

人は時とともに「考え方」も変化するもんだっつーの!

やっぱみんな仗助ってことで!

 

それにしても、

前作でアキームと結婚するために育てられ、最後まで放置されて終わった女性が伏線として使われ、今回は放置されずに終わっただけでも救いだったんだよね。

あれは本当に笑えない大事件だよね。

 

んでもってザムンダ王国の王子の結婚相手として別に育てられていた女性も新しく登場し、これまた可哀そうで笑えなかったよね。

あそこまでくると何かのメッセージなのかって勘ぐってしまうんだよね、、、

読み取れていないだけなのか、、、

そもそもザムンダ王国に王子がいないと知っていながら、何故そんな女性を育てたのか、、、

 

前作の女性、今作の女性、

どのような展開になったとしても、

どちらの女性にとってもその人生として可哀そ過ぎるし、

理不尽だよなあと思ってしまうけれども、そこも映画と割り切るしかないね。

 

あとはいくつかその他の感想。

 

アキームの父の生前葬

現実世界においても生前葬という考え方自体はあって、

ネット情報的には実際に行われていないこともないらしいけど、

やはり斬新だし、式中にあそこまでの振る舞いが出来ますかって感じだったね。

 

アキームの三姉妹の三女がめちゃくちゃ可愛らしかったね。

 

ラベルが美容師と恋をするというのはベタ過ぎたね。

美容師が登場した時点で予感はしてて、

あまりにもベタ過ぎるからそんな展開にはならないでほしいと願いつつ、

やっぱりそんな展開になったね。ここまでベタに的中するとは。

さすが星の王子という映画だね。

 

パーティーでアキームとライバル国将軍との会話をラベルが盗み聞きするシーンは、

社長兼YouTuber「マコなり社長」の言うところの『緊張と緩和』の王道という感じで、これまたベッタベタだったね。

このベッタベタ感が星の王子という映画なんだね。

 

 

てなわけで、

決着ゥゥーーーーッ!!